みんなの笑顔が三重(みえ)てくる Jima-t’s diary

「地域性」に光をあて、「違い」を学び、リスペクトし、楽しむというスタンスで四日市や三重の魅力を伝えていきます

朔日餅の刷新 & 白餅黒餅

Ep.165

赤福朔日餅(ついたちもち)については以前取り上げたがEp.99参照)、七月の「竹流し」がこの度終了・廃止されることになった。

これは1978年に同社が朔日餅の販売を始めて以降、初めてのできごとだという。

 

22年までの七月の朔日餅「竹流し」

 

竹流しは「竹筒の底にキリで穴を開けて中の水ようかんを取り出す」という趣向を凝らした商品だったが残念である。

(水ようかんなので”餅”ではないが餡は赤福で作られていた)

 

廃止の理由は

「新型コロナの影響などで海外から生竹の入手が困難となったため」(伊勢新聞、23年6月7日)

とのこと。

竹なんてその辺にいくらでも生えているのに不思議な理由だと考えるのは私だけだろうか?

 

竹流しの化粧箱version

 

2023年より、代わって七月の新しい朔日餅になったのが「笹わらび餅」である。

こしあんが入ったわらび餅が笹の葉で包まれている。

 

みずみずしくさっぱりしていて夏らしいあんこ餅だった。竹流しと同じように涼しげで風流を感じさせる。

 

23年からの七月の朔日餅「笹わらび餅」

 

朔日餅ではないが22年4月に赤福が新発売させて話題になったのが「白餅黒餅」だった。

白餅は白小豆が、黒餅は黒砂糖が使われている。

 

発売当初は入手困難なようだった。

 

 

絶えず新商品を投入して新機軸も打ち出していくところが赤福の強みである。

 

赤福本店にて

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New Tsuitachi-Mochi and Shiro-mochi Kuro-mochi

Ep.165

赤福餅 Akafuku-mochi (Ep.96, 99) which has been the most famous rice-cake and souvenir of Ise region was improved their “July of “朔日餅 Tsuitachi-mochi”, to “笹わらび餅 Sasa-warabi-mochi”.  They say such exchange is for the first time ever.  This Warabi-mochi like MIzu-manju is very fresh, therefore we can feel summer season.

 

They has also made a new release “白餅黒餅 Shiro-mochi and Kuro-mochi” which are made of white bean paste and black sugar respectively.  These white & black ones are so unique!

 

www.isenp.co.jp

www.asahi.com

www.akafuku.co.jp

www.akafuku.co.jp

 

菰野ピアノ歴史館

Ep.164

ノンフィクションやエッセーをよく読む。

扱われているテーマや著者に感心があるから読むわけだけれど、中にはその著者が書く文章が好きだからという理由で読むことがある。

 

文体や表現やリズム。そこから立ち昇ってくる著者の感性や人間的な魅力。

その文章に憧れ、たまに真似してみたいとすら思うことがある。

私にとっては以下の人たちがそうだ。

 

藤島大ラグビー解説者、スポーツライター

高野秀行(辺境ライター、ノンフィクション作家)

角幡唯介(探検家、ノンフィクション作家)

近藤康太郎(新聞記者、ライター)

中村紘子(ピアニスト)

(但し小説家は除く)

 

この中で一人だけ「ライター」ではない人(文章を書くプロではない人)がいる。

中村紘子さんだ。

上記の人たちの中でも私は中村さんの文章が一番好きだったりする。

他の4人のように技巧や理屈に走らないところが良いと感じているのかもしれない。当然だ。ピアノの傍ら書いているのだから。

 

中村紘子さん otomamire HPより

 

私は中村さんの著書はすべて読んでいる。

中でも『ピアニストという蛮族がいる』が一番好きだ。

 

自身も含め世の中のプロピアニスト、またそれを目指す若者たちのピアノ漬け(練習漬け)の日々や世間一般との感性のズレを指して自虐的に「私たちは蛮族」と称した。

 

クラシック史に名を刻む大ピアニストや黎明期の日本人ピアニストに関する可笑しさと驚きと悲劇に満ち溢れたエピソードの数々。

本作を読むと、私たちは“ピアニストという種族”の人たちに多大な感心を持たずにはいられない。

またそんな彼らを”蛮族”へと導いてしまう“ピアノ”という魔性の楽器についても。

 

ピアニストという蛮族がいる』(1992年) 中公文庫

 

中村紘子さんと縁の深い街が静岡県浜松市だった。

世界的なピアノコンクールの審査員としても数多くの経験がある中村さんが(『チャイコフスキー・コンクール ピアニストが聴く現代』『コンクールでお会いしましょう―名演に飽きた時代の原点』など参照)、審査員長として心血を注ぎ、世界の著名なピアノコンクールと肩を並べる存在にまで育てあげたのが「浜松国際ピアノコンクール」だった。恩田陸の2016年の小説『蜜蜂と遠雷』のモデルになった)

 

審査員(国際的に名声を得ているピアニストたち)へのオファーの手紙の文面から会場へのお出迎えの仕方まで、自身の経験を惜しみなく監督・指導したとのことだ。

 

浜松のシンボル「アクトシティ」(ハーモニカがモチーフ)

所用でアクトシティを訪れたらちょうど第10回浜松国際ピアノコンクールの表彰式に出くわした (2018年)

 

ところで浜松市がこのピアノコンクールを1992年に創設した理由の一つは、この街が「日本一の楽器の街」だからだ。

YAMAHA、KAWAI、Roland..

日本が世界に誇る楽器メーカーの発祥や本社がこの地にある。

 

YAMAHA × 上原ひろみ YAMAHA HPより

KAWAI × Yoshiki Musicman HPより

Roland × 小室哲哉 CD Journal HPより

 

だから「浜松市楽器博物館」があるのは必然かもしれない。

世界中のありとあらゆる楽器のホンモノが1500点以上展示されている(収蔵資料は3300点とのこと)。

私は袋井に住んで以来浜松が好きなので、この楽器博物館も3回訪れている。

 

 

三重県菰野町にも小さな楽器の展示館がある。「菰野ピアノ歴史館」である。

 

19世紀ヨーロッパの希少なピアノが展示されているだけでなく、実際に弾くこともできる。

 

 

歴史館ではピアノを収集し、調律師に修復を依頼することで当時の音色を復活させてきたとのことだ。そしてピアノ調律技術の継承も本館の目的の一つとあった。

 

コンサートの様子 菰野ピアノ歴史館 HPより

 

菰野町の静かな場所にある2021年に開館したばかりの小さなピアノの展示館は、ピアノや音楽を愛する人たちを今後いっそう惹きつけそうだ。

 

 

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The Komono Piano Museum

Ep.164

“The Komono Piano Museum” has opened since 2021.  Lots of old valuable pianos which has been made in Europe 19th century are exhibited and visitors can play these ones.

They also host mini concert and inheritance of piano attunement.

This tiny museum give music lovers wonderful time.

 

piano-museum.com

www.gakkihaku.jp

 

 

四日市あすなろう鉄道 ヤマトタケルノミコト伝説 in 内部

Ep.163

四日市周辺には多くのローカル鉄道がある。

四日市あすなろう鉄道」もその一つだ。

 

冬季は天井にイルミネーション

「シースルー列車」

 

全9駅、トータルで7kmしかないことでもこのローカル度が伝わると思うが、一番の特徴は線路幅が狭い「ナローゲージ」であること。

 

「あすなろう」という命名は、“明日に向かって”という意味と“ナロー narrow”にかけたものだ。

 

ただ歴史は古い。

前身の三重軌道が最初の路線を開業させたのは1912年である。

 

 

始点となる「あすなろう四日市」駅は実質的に近鉄四日市駅のこと。

日永(ひなが)駅で内部(うつべ)線と八王子線に分かれる。

 

私は自転車での通勤途上、あすなろう鉄道の踏切を渡る。

東京から四日市に越して来てすぐのとき、この目の前を通過する単線で線路幅の狭い3両編成の小さな小さなローカル線を見て、

本当にまったく異なる地に来たんだな

と感じた。

 

レア度は高い「なろうブルー」の車両

 

車窓から外をのぞくと踏切で待っている何台もの自動車や歩行者が見えた。

わすが3両編成でトータル20人も乗客はいないのだがそれでも鉄道だから優先される。

そんな「優越感」に浸れるのもローカル線ならではだ。

 

 

終点の内部駅に到着。

内部は東京五輪ラソン代表の中村匠吾選手Ep.42参照)の出身だ。

 

 

内部駅を出て西に向かい旧東海道に入ると見えてくるのが「杖衝坂(つえつきざか)」である。今回の目的地だ。

だがその前に「うつべ町かど博物館」に行きこの場所について学習しよう。

 

 

館内に入るとご高齢の女性の解説員の方が迎えてくれた。とても品があり物腰の柔らかい方だ。

そして杖衝坂とヤマトタケルノミコトの伝説、そして「三重」の歴史について教えていただいた。

 

 

「三重 みえ」の地名の理由には諸説あるのだが、その一つの舞台が杖衝坂にある。

 

昔、ヤマトタケルノミコトは東国を平定して大和国(現在の奈良県)への帰路につく途上、伊吹山滋賀県)で神の祟りを受けて病になった。そんな状態で伊勢国にさしかかり、この急坂に出くわすと、剣を杖代わりにしてようやく登れたとのこと。

そこで彼は言ったそうだ。

 

吾が足三重の勾(まがり)なして、いたく疲れたり

 

これが「三重 みえ」の地名の由来の一つとされているのだ。

 

 

端的に言ってしまうと

「疲れて脚がぱんぱんに腫れてしまい三重(さんじゅう)になってしまったよ」

という解釈かと思いきや、これはどうも一段飛躍があるようだ。

 

というのも「勾(まがり)」というのが「勾餅」を示しているとのことだった。

ヤマトタケルノミコトは「疲れて腫れてしまった自分の足が『三重の勾餅』みたいだ」と言っているのだ。

 

では「勾餅」とは何だろうか?

 

これが詳しくは分かってないようなのだが、普通に考えて「曲がっている餅」なのだろう。

町かど博物館には「三重の勾餅」をイメージしたレプリカがあった。

 

 

ヤマトタケルノミコトが言った言葉が地名になってしまった三重。

実は私の茨城の地元でも似たような言い伝えがある。

つくば市の「水守(みもり)」という所なのだが、その昔ヤマトタケルノミコトがやってきた際、この集落の水を飲んで美味しかったことから

「これからもこの水を守っていきなさい」

と村人に述べたことで「水守」となったのだという。

 

小学生のときこの話を最初に聞いた私は

ほんまかいな?

と訝しんだものだった。

 

すると高校一年生の古文の授業のとき、先生が

つくば市にもヤマトタケルノミコトが来たことがある。水守という所がそうだ」

と述べていたので驚いた。

 

その古文の先生は定年間近の方で、趣味が「古文書の読解」という方だったから、言い伝えは本当なんだと納得した。

 

「私の茨城の地元の地名もヤマトタケルノミコト伝説にあやかっています」

と解説員の方に言ったら感心したご様子で、

ヤマトタケルノミコトさんが東征されて茨城に行かれ、その帰りにこの三重に来られたんですねぇ」

とやはり物腰は柔らかい。

 

そう考えると感慨深い。

この国を最初に束ねたとされる人物が、つくばに行って「水が美味いから守っていきなさい」と言った帰りにこの地までやってきて、「疲れて足が三重の勾餅みたいになっちゃったよ」と言ってはそれがこの地の由来になる。

 

ただ「三重」の由来になった、とする場所は他にもあるのかもしれない。私が休日によく買い物に行く尾平(おびら)のイオン(通称「おびじゃ」Ep.8参照)の近くには四日市の市営三重団地や三重西小学校があり、ここの住所は「三重県四日市市三重」である。

 

これについて伺うと、

「何しろ大昔の出来事ですから、いろいろな場所でいろいろな言い伝えがあるのですね」

とのことだった。

この四日市市『三重地区』こそが「真の三重」とする説もあるが、これはまた別の機会に述べたい。

さらにいうと三重県との県境に近い岐阜県海津市にも「杖つき坂」があり、こちらが「真の杖衝坂」とする説もあるようだ。

 

「うつべ町かど博物館」にはあすなろう鉄道に関する展示もある

ジオラマ

ジオラマでもあすなろう鉄道はナローゲージ

 

なお杖衝坂には松尾芭蕉に関するエピソードもある。伊賀出身の芭蕉Ep.90参照)が江戸から故郷に戻る際、このあまりの急坂で落馬してしまい、

「荷鞍うちかへて馬より落ちぬ」(荷物や鞍とともに馬から落ちてしまった)

とのこと。そこで苦笑して詠んだ句が以下のものだ。

歩行(かち)ならば杖衝坂を落馬かな

 

また杖衝坂の途中には、弘法大師が水に困っている村人に指示し、掘ってみると湧き出た「弘法の井戸」もある。

 

ヤマトタケルノミコト弘法大師松尾芭蕉

すごいところだ。

 

町かど博物館を出ていよいよ杖衝坂に向かう。

 

「弘法の井戸」

 

今、私は坂を登る。

ヤマトタケルノミコトが杖をつきながら「疲れて足が三重の勾餅みたいになっちゃったよ」と言い、あるいは松尾芭蕉が斜度が急すぎて「荷鞍うちかへて馬より落ちぬ」こととなってしまった坂を。

しかも、ベビーカーを押しながら。登る。

 

芭蕉の句碑

 

登りきる。

急坂であることは確かだ。

が、大したことないじゃないか斜度も距離も。

これがヤマトタケルノミコト芭蕉(の馬)を苦しめた坂か。

特にヤマトタケルノミコト。東征して「強敵」を倒してきた君がなぜこの程度の坂に苦戦してんの、と言いたいところだが伊吹山の神からのダメージは思いのほか大きかったというわけか。

 

 

登りきった場所にある「血塚社」。

ヤマトタケルノミコトの足の出血を封じたとされる祠がある。

 

 

東海道にひっそりと佇む(四日市市民にも残念ながらほぼ知られていない)この「杖衝坂」は、日本史上の重要人物たちのエピソードで溢れていた。

 

 

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Yokkaichi Asunarou Railway “The myth of Yamatotakerunomikoto” in Utsube

Ep.163

There many local railways around Yokkaichi!

"Yokkaichi Asunarou Railway" is one of them and so tiny train.

Total length is only 7km, 9 stations with too narrow 762mm gage.

These specialties attract train enthusiasts.

 

The terminal station Utsube has the myth of Yamatotakerunomikoto, who is legend person in Japanese history.

 

yar.co.jp

sites.google.com

www.youtube.com

www.bunka.pref.mie.lg.jp

 

続・三重県の豆腐屋

Ep.162

三重県の「ローカル豆腐」については以前「岡村とうふ」Ep.144参照)を紹介したがこれ以外にもよく買っていたのは井村屋の豆腐だった。

 

「大豆屋和蔵大豆ッ子」 井村屋(津市)

 

食感がとてもいい。絹豆腐に求めるものはやはり滑らかな口触りだと思う。この豆腐は「スーパー サンシ いくわ店」Ep.41参照)で売っている。

井村屋といえばあずきバーで有名な三重を代表するスターカンパニーEp.141参照)

小豆(あずき)だけでなく大豆も扱っている。豆に限ったわけではなく既に総合食品メーカーになっている。

 

「福豊」 スズカ川北食品(鈴鹿市

「国産大豆 絹ごし」 服部食品(四日市市

菰野名水豆腐きぬ」 八里屋(菰野町、おとうふ工房いしかわ)

とうふや豆蔵 菰野テラス

 

「とうふや豆蔵 菰野テラス」(菰野町竹成)は静かな場所にある。店内には豆腐関連商品で溢れている。人も多い。

竹成(たけなり)はサッカー日本代表浅野拓磨選手の出身地だ。22年カタールW杯のドイツ戦で彼がゴールを決めたときは地元が湧いた。

 

HPより

HPより

 

運営する「おとうふ工房いしかわ」は愛知県高浜市の会社だが豆腐のパッケージには菰野町と「名水」をアピールしている。

 

智積養水 名水百選 HPより

 

「名水」とは「智積養水(ちしゃくようすい)」のこと。

 

菰野町市内に水源のある寺井川は智積町(ちしゃくちょう。四日市市)に流れ、これが智積養水として「名水百選」に選ばれているのだ。

 

HPより

 

とうふや豆蔵の菰野テラスに「名水汲み場」があるのはそのためだろう。

 

 

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Tofu in Mie

Ep.162

There are several Tofu makers in this region, Mie.  Ishikawa is one of them and they open a store and café as “The Komono Terrace”.

 

www.imuraya.co.jp

www.suzukakawakita.co.jp

yasatoya.co.jp

otoufu.co.jp

 

三重県の交通マナー 『絶望』

Ep.161

ロシアのフィギュアスケーター、カミラ・ワリエワ選手は

「あまりにも強すぎるため他の選手が「絶対に勝てない」と意気消沈するのではないかという推測」Wikipediaより)

から、日本のファンからは『絶望』と異名を付けられている。

 

一体誰が付けたんだよ、と思うが、なかなか意表をついた異名である。

 

カミラ・ワリエワ選手 THE DIGESTより

 

ところでもしあなたが

何かに『絶望』という異名をつけるとしたら何につけるか?

と問われたらどうだろう。

 

私ならば

三重県の交通マナー

と答える。

 

それほど現状が酷く、かつ改善傾向も見られそうにないため私は『絶望』しているのだった。

 

年明け早々の2月、交通死亡事故が相次ぎ「人口10万人当たりで0.57人」という全国ワーストを記録したため啓発活動をする警察(2023年2月10日の中日新聞より)

三重県の交通事情についてはこのブログの初期にも取り上げたEp.3参照)が、マナーが悪いことは四日市に越して来て早々に理解できた。

 

私は中学校入学以来、高校・大学・大学院・社会人と、自分でも驚くことに通学通勤手段は全て自転車だ。(ただし静岡時代の2年間は除く)

13歳になる年から25年経つ現在まで毎朝毎夕自転車をこいでいる。なので私の人生は自転車と共にある、と言っても過言ではない。

田舎(つくば)でも都会(東京)でも自転車で走ってきた。

 

そんな私にとってこの四日市は、他のどの地域よりもダントツで交通マナーが悪いと断言できる。

私の職場には三重県外出身の方たちがたくさんいる。そんな彼らとたまに話をするが、

四日市のドライバーは本当に危ない

とみな口をそろえる。

 

2019年調査結果 JAFより

毎年12月、JAFが「信号機のない横断歩道における車の一時停止率」の調査結果を発表しているのはご存じだろうか?

2019年、三重県はこの調査で全国ワースト1位となった。3.4%であった(トップは長野県で68.6%)。

つまり「33台に1台しか止まらない」ということになる。

この結果を前にするとまさに『絶望』しかない。

 

2020年調査結果 JAFより

ところが2020年、同調査で三重県は27.1%、全国14位(上位14位)へとジャンプアップした!?

一時停止率が大きく改善したのだ!?

 

けれどちょっと待ってほしい。

わずか1年で3.4%→27.1%(47位→14位)へ劇的に向上するというのはまずあり得ない。

 

「全国平均の推移」も見てみた。

 

2022年調査結果(全国平均) JAFより

すると、

7.6%(2017年)→ 17.1%(2019年)→ 39.8%(2022年)

と、恐るべき改善傾向を示していることがわかった!?

 

もちろん、これはあり得ない。

なぜ「全国」規模で劇的な改善が起こっているのか? この6年間で日本に何があったのか? 国を挙げて交通マナー向上のための超大規模キャンペーンが行われたのか?

もちろん、行われていない。

 

となると、JAFのこの「調査方法」が実態をまるで表していないものであると言えそうだ。

この国の交通事情を評価する上で根幹となるはずのJAFの調査がこんなにも杜撰なのだから、それについても『絶望』と言えるだろう。

 

2022年調査結果 JAFより

2019年のJAFの調査結果を受けて、三重県警や県知事・県職員たちが改善の努力を、ドライバーと歩行者双方への啓蒙活動をしていたのは新聞報道などで知っていた。

 

しかしそれをもってしても横断歩道で一時停止するかどうかはドライバーの「意識 mindset」の問題。

そして人々の「意識」を変えるというのは、世の中で最も難しいことの一つだ。

一年で変わるはずがない。

 

私は現在も毎日自転車通勤で信号機のない横断歩道を渡る。

そんな私の経験で言うと、一時停止してくれるクルマはせいぜい7台に1台(つまり14%)というとこだろう。

ほとんどのドライバーは私が渡ろうとしているのに気付いてはいるだろうが通過していく。

ただしタクシーや路面バスは必ず止まってくれる。

だからやはりドライバーの「意識」の問題、彼らへの教育・啓発の問題なのだろう。

 

イメージ 内閣府 HPより

 

ドライバーの交通マナーは悪いが歩行者のそれもまた悪い。

最後に、私がこれまでに市内で目撃した

15m先まで歩けば横断歩道があるのにそこまで行くのが面倒だから交通量は多いけど目の前の道路を渡ってしまった歩行者

を3例紹介したい。

 

 

1.モーセ十戒

朝、交通量の多い通勤時間帯の笹川通り(計4車線)にて、初老の男性が横断歩道のないところで渡ろうとしている。

彼は右手を前に出して(STOPのポーズ)右側から来るクルマを止め、そのまま歩き出すと続いて左手を前に出して左側から来るクルマも止めている。

右手と左手さえあればクルマを止められると思っているようだ。

 

通勤中、この光景を見て私は呆然とした。

そして『モーセ十戒』みたいだなと思った。

 

映画「十戒」(1956年) 映画.COM HPより

 

モーセ一行が「出エジプト」でイスラエルに向かう道中、紅海を渡るときに出てくる一場面である。

その男性は笹川通りを旧約聖書の舞台に変えてしまったのだった。

 

 

2.『北勢ランウェイ』

笹川通りで同様の状況にて、やはり初老の男性が通りの向こうからこちら側へ渡ろうとしている。

しかし彼はまっすぐと前だけを見、歩いてくる。

この点で、一応は右からも左からもクルマが来るのを警戒していた先ほどの彼(=モーセ)とは異なる。

 

よくあんなに堂々と自信を持って前だけを見て歩けるよな

と私は思っていた。

さながらファッションショーでランウェイを歩くモデルのようだったので、私はこれを『北勢ランウェイ』(北勢=三重県北部地域)と名付けた。

 

ELLE HPより

 

なおその男性が道路を渡って来る理由、それはこちら側にゴミ収集場所があるからだ。彼が右手に持っているのはゴミ袋なのだった。

 

 

3.『一家で横断』

休日の松本街道(計2車線)にて、駐車場から通りの向こう側にあるお店に行くため横断歩道のないところ渡ろうとしている一家4人。

交通量は多い。そこでクルマがきれるタイミングを見計らい、サササっと渡ってしまった。全員で手をつないでいるが下の子はまだ歩くのに慣れていない、幼稚園児だろうか?

 

イメージ Adobe Stock より

 

ダメだこりゃ…

この光景を見て私はめまいがしていた。

子どもに教えるべき親が自ら手を引いてマナー違反をしている。

 

 

というわけで、現状の交通マナーが最悪であるだけでなくそれが将来世代にも続いて改善傾向が見られそうにない暗澹たる状況であり、まさに「絶望」である。

 

啓発活動がなされているのは分かるがそれに「本気」が出されていないことは明白だ。

というのも、警察・政治家・県職員・学校関係者など「指導的立場」にある者が本気を出せば世の中は変わるからだ。社会とは、そういうものだからだ。

 

夏の交通安全県民運動 23年7月11日〜20日 YOUよっかいち HPより

 

ということを考えていたら、

「G7交通大臣会合」が今年、志摩市で開催される(23年6月16日〜18日)ことを知った。

 

日本で最も交通マナーの悪い県である三重県で行われる。

これは何かのジョークか? と思ったがそうではないらしい。

 

G7交通大臣会合 日刊自動車新聞 HPより

 

もっとも、G7の交通大臣たちは三重県の交通マナーなど知るよしもないだろう。

それにこの会合では気候変動や脱炭素化といった上位概念とそれを具現化する先進技術(水素技術や自動運転)について議論したようだ。

 

 

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Traffic Manners in Mie, “Deeply Disappointment”

Ep.161

In my opinion, in Mie, the traffic manners by drivers and pedestrians are the worst.  I’ve ever seen that several persons crossed without the traffic light of the pedestrian crossing even though on the heavy traffic road.

It’s too dangerous and unbelievable act.  I am one of the man who is deeply disappointed this reality.

I’m wondering these are improved someday.  Can we expect it?

 

jaf.or.jp

www.you-yokkaichi.com

g7transport2023-ise-shima-mie.mlit.go.jp

news.yahoo.co.jp

 

三重県と音楽 4-sails 編

Ep.160

数年前、島袋寛子(元SPEED)の『私のオキナワ』(2013年)というアルバムをApple Musicで聴いてみたら、とても良かったので感動した。

この企画アルバムは『島唄』やBEGINのカバーなど、全編が「沖縄に関する楽曲」で構成されている。

 

島袋寛子 BARKS HPより

 

アルバムリリースに寄せた本人のコメントによると、

「 私にとって沖縄は強くあることを教えてくれる場所です 」

「 どんなときも私であることをおしえてくれた沖縄。家族の愛がそこにあります。生きる力がそこにあります 」

「 私の大好きな故郷 沖縄はいつもそう背中をおしてくれます 」

「 そして、このアルバムを手にとってくださったみなさん。本当にありがとう。みなさんの故郷はどこですか? お会いできるとき聞かせてくださいね 」

 

とあった。

私は90年代のJ-Popが好きだしEp.157参照)、SPEEDもhiroも好きだ。それを前提として言うのだが、これはなんというか「ズルいな」と思った。

 

J-Popシーンの最前線にいる”アーティスト”が

今回は私の大切な故郷について歌ってみました

という基軸を打ち出し、その対象が「沖縄」であるということ。

 

トップシンガーが自身のルーツとしての「オキナワ性」を前面に出す表現行為に社会は注目するし商業的にも成功するかもしれない。

三浦大知の『燦燦』(2022年、朝ドラ「ちむどんどん」の主題歌)も同様だ。

 

これは例えばBEGINや夏川りみのように

「基本的に全曲、沖縄について唄っています」

的なスタンスの歌手とは意味合いが異なるものだ。

 

『私のオキナワ』(2013年)

 

「オキナワ性」が重要な要素であることに疑いはない。

例えば私は茨城県出身だが、同県出身のカールスモーキー石井(元米米CLUB石井竜也)が

「今回は私の大切な故郷・茨城について歌ってみました」

と言って全曲、茨城に関する歌で構成されたアルバムを出したところでそれはパロディーとしか見なされないだろう。

 

石井竜也 スポニチ HPより

 

ただし「歌手が自身の故郷について歌う」なら、それは沖縄出身者でしか成功しないのか?

というとそれは違う。

 

MISIA 音楽ナタリーより

 

「 なんばしよっとね そんなことしよったら つまらんけん
あちゃら こちゃら 言わんで こっちに かたらんねって言いよっと 」

「 しゃれとんしゃ しゃれとんしゃ 街も 人も しゃれとんしゃ 」

「 好きやけん 楽しかけん 一緒に食べよう とんこつ バリカタ 」

MISIA『好いとっと』(2020年)、作詞;MISIA

 

長崎出身で福岡で育ったMISIA

普段はラブソングを歌うことの多い彼女が歌う『好いとっと』は、博多弁全開で底抜けに明るい曲だ。私はこれを初めて聴いたときノックアウトされていた。

 

地域性を示すワードが高強度に配されるとともに、故郷への溢れる愛が歌われる、これ以上の曲を私は知らない。

 

桑田佳祐 SPICE HPより

 

「 夢を乗せて走る車道 明日への旅 通り過ぎる街の色 思い出の日々
恋心 なぜに切なく 胸の奥に迫る 振り返る度に 野薔薇のような Baby love
遠く遠く 離れゆく エボシライン Oh my love is you 」

桑田佳祐希望の轍』(1990年)、作詞;桑田佳祐

 

茅ヶ崎出身の桑田佳祐の有名な曲。美しい思い出を胸に故郷を去る、その情景が歌われる。湘南海岸の象徴である烏帽子岩も遠ざかる。自身はこれから夢を追って東京へ行くのだ。

 

愛するふるさとを離れて上京する、寂しさ、不安、しかしそれらを遥かに上回る期待感、志。

10代の終わりの若者への激励歌として、これ以上の曲を私は知らない。

 

GLAY

 

「 無口な群衆(ひと)、息は白く、歴史の深い手に引かれて

幼い日の帰り道、凛と鳴る雪路を急ぐ

街灯の下ひらひらと、凍える頬に舞い散る雪

目を閉じれば昔のまま、厳しくも日々強く生きてる者よ

いつか二人で行きたいね 雪が積もる頃に 生まれた街のあの白さを、あなたにも見せたい 」

GLAY『Winter, again』(1999年)

作詞;TAKURO

 

函館出身のGLAYが歌うのは、北の大地の冬の情景だ。あの景色を、自然を、恋人に見せてあげたい、と。

歌詞だけ見ても充分に情景は目に浮かぶが、やはりあのPVの印象が強すぎる。(見渡す限り白銀の大地かつ吹雪の中、TERUが熱唱し、後ろでメンバーが演奏している)

 

自身の故郷をリスナーに鮮烈に想起させ、いざなう、これ以上の曲を私は知らない。

 

 

4-sails 中日新聞 HPより

 

さて、四日市にも地元について歌う歌手がいる。

正確には

ご当地ソングしか歌わないことにこだわってきた」(プロデューサーのZenzo氏)

というアイドルグループ、4-sails(フォーセイルズ)である。

 

結成は2011年。以降、幾度かのメンバーチェンジを経て23年2月現在では4人で活動している。

「4」は「四日市」の「4」。それに古くから港町として栄えてきた四日市において、船の「帆」を意味する「Sail」を付けて、4-sailsと名付けられた。

 

そんな彼女たちの曲は、

土鍋deごはん』・・・ばんこ焼きをテーマとし、土鍋の利便性を彼氏、家族といった若い世代の女性にとって身近なものになぞらえて様々な視点から楽しく物語が進行するEp.23

24137参照)

 

私だけの工場夜景クルーズ』・・・女の子がデートの約束をすっぽかされて一人で夜景を楽しむ様が歌われるEp.1920参照)

 

Favorite of 4-sails』・・・仲良しの女の子達が日々の暮らしの中で発見する地元の良さを再発見するストーリー。あすなろう鉄道や駅前のモールがイメージできる景色が盛り込まれている

 

ミルクロード』・・・免許取りたての女の子が初めてひとりでドライブする。南部丘陵公園から桜に抜ける行程で見えるミルクロードからの景色や観光スポットが盛り込まれるEp.139参照)

 

こにゅうどうくんが行く!』・・・四日市ご当地キャラ「こにゅうどうくん」についての曲

(以上、全て公式HPより)

 

公式HPより

 

4-sailsは、大四日市まつりEp.122参照)をはじめとした各種イベントなどでパフォーマンスを披露しており、私はこれまでに見かけたことはないが、Youtubeではその様子を知ることができる。

 

地元にまつわる曲しか歌わないのなら、そろそろネタが尽きるのでは?

と素人目には映るかもしれない。

 

しかし私のこのブログがいつまでも続いているように、取り上げるテーマなんていくらでもあるのだ。

4-sailsもまた、この地域の魅力を、特長を、伝えている存在なのである。

 

 

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4-sails

Ep.160

4-sails is the girls vocal group in Yokkaichi city.

They have been in active more than 10 years while changing their members several times.

And all of their songs are referred their hometown, Yokkaichi!

It makes lots of people know specialty of this region.

 

4sails.wixsite.com

www.youtube.com

 

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com

 

石榑茶

Ep.159

石榑(いしぐれ)といえば「石榑トンネル」が思い浮かぶ。

 

2011年に開通したこのトンネルは、石榑峠をぶち抜き、いなべ市滋賀県東近江市を結ぶ4.2kmもの長距離トンネルだ。

私は鈴鹿セブンマウンテンや鈴鹿10座の登頂をしていたとき利用した。Ep.70参照)

 

石榑トンネル Wikipediaより

 

石榑はお茶の産地でもある。

しかも「石榑茶」という名で販売している。

茶の栽培面積としてはたいして大きくないはずだ。何しろ石榑という地区自体が大きくないのだから。

 

丸慶 HPより

 

以前取り上げた四日市の水沢(すいざわ。Ep.25参照)も茶の生産地で、その南方に広がるエリア(住所としては鈴鹿)まで含めると広大である。

ただし彼らは「水沢茶」という名称では販売してない。

あくまで「伊勢茶」(あるいは製法を示す「かぶせ茶」)である。

 

であるが故に、石榑の茶農家の人たちが「石榑茶」というブランドで販売しているその心意気に私は感銘を受けていた。

近鉄四日市百貨店の物産展などで出店していたため、石榑茶の存在は以前から知っていたのだ。

 

 

5月は新茶の季節。

石榑茶を入手すべく、栽培農家兼お茶屋の一つ「岡製茶」を訪ねると、おかみさんが丁寧に対応してくれた。

ちょうど私が訪れる前日、CTY(北勢地域のケーブルテレビ)の『きょうはどこまで北勢散歩』という番組でこちらのお店が取り上げられていたので、その旨をおかみさんに言うと、

「あの番組、観ている方おられるんですね!?」

と目を丸くしていた。

 

CTY HPより

 

『きょうはどこまで北勢散歩』は、ローカルタレントの玉腰佳弘さんと日高由貴さんが、北勢地域(三重県北部地域)を歩きながら街の歴史や名所を訪ね、魅力や特長を伝える(番組HPより)、という超ローカル旅番組である。

 

その放送回ではリニューアルされた宇賀渓キャンプ場を二人が訪れた後、そこでもらったお土産の石榑茶を持って岡製茶へ立ち寄る、というものであった。

 

事前にロケのオファーがあったのかと思いきやそんなことはなく、当日、突然撮影隊がやって来たらしい。

ローカル番組の制作とはそんなに行き当たりばったりでやるものなんだ!?

 

 

もう一件、「マル信 緑香園」も訪れた。

茶葉を使ったバウムクーヘンや入浴料、薬膳茶など様々な製品を企画・販売されている。

 

 

入口付近にはお茶の蛇口があった。

ほうじ茶が美味しい。

 

 

石榑茶のアイスクリームを外のベンチで食べようとしていると、

「ホーホケキョ!」

とうぐいすが鳴いた。

二口目を食べるとまた

「ホーホケキョ!」

と鳴く。

その後も鳴き続けている。30秒に1回は鳴いているのではないか?

 

隣の妻が

「これは録音なのではないか?」

と言う。

確かに、こんなにも高頻度でうぐいすの鳴き声を聞き続けるのは私も人生で初めてだ。

 

けれど録音ではない。

近くに林があり、うぐいすはそこから鳴いているのだ。

 

 

いなべ市にある小規模なお茶の産地「石榑」は、とても自然豊かなところだ。

 

 

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Ishigure-cha (Ishigure Tea)

Ep.159

石榑茶 Ishigure-cha (Ishigure tea) is the specialty of Ishigure region, Inabe city.  It’s tiny area as tea cultivation, but they are developed their own name brand “Ishigure-cha”.

Early May is the season of “new tea leaves”.  This rich flavor and full-bodied taste must make more people become a fan!

 

ugakei.info

http://www.mie-isecha.org/shop/1100-02_oka/1100-2_oka.html

www.marushin-ryokkouen.com

https://www.cty-net.ne.jp/community/channel/12ch_3-htm

usagism2000.theshop.jp

 

算額

Ep.158

コロナ禍で外出できず家にこもっていたとき、暇だったので、面白かった「All Time 小説ランキングTop20」を考えていた。

これまでの人生で読んできた何百以上もの文学作品の中から”The BEST”を選定しようという野心的な試みだ。

 

第1位は既に決まっていた。

坊ちゃん』(夏目漱石,1906年)だ。

 

この作品を私はこれまでに何度も読んでいる。

『坊ちゃん』は「古今東西永遠のNo.1小説」だと思う。

 

正義の心を持った主人公(坊ちゃん)がワルいヤツら(赤シャツたち)を懲らしめる、というストーリー自体が最高じゃないか!

赴任先の人たちの「ぞなもし」に代表される愛媛弁と、べらんめえ調(東京弁)の坊ちゃんの会話は確信犯的であり、「方言」というツールを用いることで「地方と東京」という普遍のテーマを表出させる。

 

『坊ちゃん』を例えば電車の中で読むのは危険だ。

あまりにも可笑しくって、5行読むごとに笑ってしまうから、その様を周囲の乗客に気付かれでもしたら、変態だと思われてしまうだろう。

こんな作品、他にあり得ない。

 

新潮文庫 HPより

それでは第2位はどうか?

私は悩んだ挙句、『博士の愛した数式』(小川洋子,2003年)とした。

 

記憶が80分間しか持たない数学者の「博士」と、その家に家政婦としてやってきたシングルマザーの女性とその息子との交流を描いた作品だ。

 

博士の子どもへの思いやり、野球への愛情が描かれるが、作品に通底しているのは「数字や数式の持つ美しさ、神秘さ」である。

 

新潮文庫 HPより

小川洋子さん 時事通信 HPより

 

もちろん、凡人である私たちが「オイラーの公式」にふれたところで感動も何も感じない。

 

オイラーの公式オイラーの等式) 「πとiを掛け合わせた数でeを累乗し、1を足すと0になる」(『博士の愛した数式』より)

 

しかし著者の小川洋子さんにかかると、

 

「 果ての果てまで循環する数と、決して正体を見せない虚ろな数が、簡潔な軌跡を描き、一点に着地する。どこにも円は登場しないのに、予期せぬ宙からπがeの元に舞い下り、恥ずかしがり屋のiと握手をする。彼らは身を寄せ合い、じっと息をひそめているのだが、一人の人間が1つだけ足算をした途端、何の前触れもなく世界が転換する。全てが0に抱き留められる 」

 

オイラーの公式は暗闇に光る一筋の流星だった。暗黒の洞窟に刻まれた詩の一行だった 」

(『博士の愛した数式』より)

 

となる。

あらためて、一流の純文学作家が持つ感性や文章表現にはため息が出る。

 

映画版では寺尾聰が博士を演じた

 

当該作品では「数学者」に光があてられたが、現実の日本で、広く知られた数学者というとどうだろう?

 

NHK-Eテレで数学の番組を持っていた秋山仁先生や藤原正彦氏(この人の場合は既に政治評論家としての方が有名か)、望月新一氏(ABC予想を証明したのではと言われている人)が思い浮かんだ。

 

秋山仁先生 朝日新聞デジタルより

 

だがもっと時代をさかのぼり、例えば江戸時代あたりだとどうか?

 

すると一人の著名な人物が浮かび上がる。

関孝和(せきたかかず)(1642-1708)である。

 

関孝和 Wikipediaより

 

だがこの時代に行なわれていたのは、正確には「数学」や「算数」という呼称のものではなかった。

 

和算(わさん)」である。

中国の伝統数学の系譜を引く日本の算術体系Wikipediaより)とある。

関孝和はこの和算を発展させた最大の功労者だ。

 

そしてこの関孝和和算の時代において、とても「日本的」なある行為があった。

それは額や絵馬に和算の問題や解法を記し、神社や仏閣に奉納するというもので、「算額(さんがく)」と呼ばれる。

 

和算の難解な問題が解けたことを神に感謝したのである。

 

この算額が奉納され、現物が公開されている神社が四日市の川島にある。

川島神明(かわしましんめい)神社である。

 

 

武州忍藩(現在の埼玉県行田市)の勘定方で、和算に明るかった石垣宇左衛門という人物が四日市に駐在していた際、弟子(詳細は不明?)として柳川安左衛門という地元の人物と交流があったそう。そしてこの柳川が、1844年に奉納したのが神明神社にある算額の一つとされる。

 

ここで<問題1>。

1844年の柳川安左衛門により奉納された算額

神明神社 HPより

 

四日市大学関孝和数学研究所」副所長の小川束先生によると、三平方の定理を複数回使って解く問題で、現代の大学生でも難問だという。(CTYの番組「まほろば~歴史の扉」より)

 

そう、ちなみに地元の四日市大学には関孝和の研究所があるのだ。

なお関孝和自身は四日市とはゆかりはない(したがってなぜ四日市大学にあるのかはいまいち不明だ…)。

 

<問題2>

1790年に奉納された三重県最古の算額

神明神社 HPより

 

<問題3>

 

神明神社では算額を前面に出し、お守りも作っている。

 

神明神社 HPより

 

川島神社の算額に示された問題やその証明法が、いわゆる西洋数学(現代の国際的な学問としての数学)においても意味を持つか(要するに新規か、既知か)、については分からない。

しかし世界の主流とは異なる「土着的な数学(=和算)」が存在するという事実が、この学問を巡る人類の豊かな歴史を物語っているように思える。

私たちは太古の昔から、数字や図形に潜む法則や神秘について、解き明かそうと試みてきたのだ。

 

柳川安左衛門という地元・四日市の人物にも思いを馳せてみる。

時代は違えど、有名無名を問わず、数学の難問に直面し、悩み、それが解けたときの悦び、というのは皆共通なのかもしれない。

 

三重県内には他に、椿大神社Ep.16参照)など他の7つの神社でも算額があるとのこと。

全国的には約820の算額が現存しているそうだ。

 

もしあなたが神社で数式や図形が記された額縁を見つけたら、それはおそらく「算額」である。

その神社や算額の歴史を調べてみたり、算額を奉納した人物に想いを巡らせるのもおもしろいかもしれない。

 

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Sangaku

Ep.158

算額 Sangaku is a wooden frame which is depicted mathematical problem, figure and /or solution.

It has been one of rituals which meant someone’s gratitude for deity about solving difficult math problems since 17th century, Edo period.

 

神明神社 Shinmei Shrine in Kawashima, Yokkaichi owned several Sangakus because of their historical background.

It’s interesting to imagine somenone’s of old time effort or joy for math.

 

yokkaiti-sshinmeijinja.jimdofree.com

www.seki-kowa.org

ral-mil.chobi.net

www.wasan.jp

ja.wikipedia.org

 

 

 

 

三重県と音楽 平井堅 編

Ep.157

高校生のとき私は片道13kmの距離を毎日自転車で通っていたが当時の母校においてそれは珍しいことではなかった。

 

周囲にも、遠方から自転車で来ていた子たちがたくさんいた。

 

2005年以前、つくばエクスプレス開通以前のつくば市というのはさながら陸の孤島だったし、田舎だから路線バスも1時間に1本あれば良い方。

加えてこの地は近くに海とか山脈とかがある訳ではなく、要するに近隣に地理的要因により人が住めないエリアがある訳ではないから、東西南北あらゆる方向から集結していた。

 

つくば市 茨城県HPより

 

先日帰省した折、15年ぶりくらいに高校の卒業アルバムを見ていたら、巻末に生徒の住所録が載っていたので目を丸くした。

(今じゃGoogle MapとStreet Viewを駆使して建屋の様子まで知れてしまうじゃないか!?)

 

見つけてしまったものはしょうがない。

同級生たちの住所を見渡すと、

下妻、水海道(常総市)、守谷、藤代(取手市)、龍ヶ崎、阿見霞ヶ浦、石岡、小川町(小美玉市)、真壁(桜川市。嘘でしょ!? これが一番驚いた)など、「20km超え」が多数。やはり、あっちこっちからやって来ていた。

 

彼らの通学手段は、自転車、あるいはバス、電車+バス、自転車+電車、自転車+電車+自転車、など、建前上はそうかもしれないが実際には両親のクルマで送迎してもらっていた人たちも多かったと思われる。

通学手段の不便さに屈せず、みんなたくましく通学していたのだ。

 

地域に与えた変化は絶大だった つくばエクスプレスHPより

 

あるときバラエティ番組を観ていた母が

「この人もあなたと同じように高校時代に自転車で1時間かけて通学している」

と言ってきた。

 

「全国には上がいるな」

と思ったらなんてことはない。

その人は私の高校の先輩だったのだ。

 

元フジテレビアナウンサーの相川梨絵さんだ。

相川さんの出身は牛久市とのこと。(現在はバヌアツ在住!)

 

相川元アナウンサー ORICON NEWS より

 

もし自転車だけで通うなら片道14km程度の距離だから私と同レベルであり大変なことだ。

常磐線ひたち野うしくか荒川沖まで出てから自転車だとしても、長距離である。

 

あらためて、当時の母校の自転車による通勤圏の広さには驚嘆せざるをえない。

 

白亜の校舎? Wikipediaより

 

冒頭の私自身の話に戻る。自転車で13kmというと、だいたい48分くらいかかった。

その時間は退屈で仕方ない。だから私は音楽を聴きながら自転車をこいでいた。

2000年代初頭にはスマホなんてない。MD(Mini Disk)プレイヤーの時代である。

 

MDプレイヤー 楽天市場 HPより

 

あぁMD。。なんて懐かしいんだろう。私はMDが好きだった。

あのサイズ感も、セットするときの音も、手触りでさえも。

SONYのMDを愛用していたが、1年に1回は壊れた(それ以外にイヤホンの断線はしょっちゅう)。

 

ところで48分というと、ちょうどアルバム1枚分の時間だ。そしてMD1枚の録音可能時間もおおよそそのくらいだった。MD1枚=アルバム1枚。

 

だから私は毎朝「その日、自転車をこぎながら聴くアルバム1枚」を選んで出発していた。

MDを複数枚持っていくなんてことはしない。その選んだ1枚だけを、通学の共にしていたのだ。(したがって往復で2回聴く)

 

(なお音楽を聴きながら自転車をこぐことは危険なので、高校以降はしていない)

 

MD Rentio PRESS より

 

当時私が聴いていたJ-Popの歌手たちをここに挙げてみる。

 

安室奈美恵浜崎あゆみ宇多田ヒカルMISIA倉木麻衣鈴木あみ松たか子tohko鬼束ちひろZARDCocco、hitomi松浦亜弥BoA中島美嘉大黒摩季松任谷由実

SPEEDDreams Come TrueEvery Little Thing、JUDT AND MARY、My Little Loverポケットビスケッツ、globe、MAXZONEモーニング娘。

SMAPTOKIO、V6、Kinki Kids、嵐、

福山雅治、ゆず久保田利伸尾崎豊サザンオールスターズ小田和正山下達郎

Mr.ChildrenスピッツWANDSB’zT.M.RevolutionGLAYL’Arc〜en〜CielLUNA SEAX JAPANhide with Spread BeaverMALICE MIZERGackt、そして、黒夢。。あと、Sads。。

 

2020年代においてもJ-Popシーンの最前線で活躍しているメンツが多数。ため息が出るほど圧巻の面々である。

そして彼らの多くは「90年代デビュー」組。(上記のアンダーラインの人たち)

 

高校時代の通学時間を共にした彼らの存在、そして彼らが属した90年代の日本の音楽界とは私にとって特別。

90年代のシンガーたち、それは私にとってほとんど「神話の世界の住人たち」である。

 

神話の世界の住人? Lmaga.jp より

 

何より女性ソロシンガーの充実が目を引く。浜崎、宇多田、椎名林檎aikoMISIA倉木麻衣。98年、99年にデビューした彼女たちは、デビュー時のインパクトの絶大さから人気の持続、絶えることのない活動歴に至るまで実に共通しており、25年経過した現在においても頂点に君臨している人たちである。

 

吉田美和(ドリカム)、持田香織ELT)、YUKIジュディマリ)、akkoマイラバ)など、「バンドの紅一点ボーカル」という形態も流行った。

 

SMAPTOKIO、V6、Kinki Kids。ジャニーズにもグループ毎に明確な音楽性と指向性の差別化があり、空前の人気を誇った。そして90年代の最後の年に出てきたのが嵐だった。

 

安室、TRF、globe、鈴木あみ。時代の寵愛を受けた小室哲哉小室ファミリーたち。

 

B’zミスチルスピッツ、福山、ゆず、そしてビジュアル系ロックバンドの面々。

 

音楽性の観点でも、R&Bが登場し、ロックバンドブームが湧き起こり、私は好みではなかったがDragon AshKick the Can Crewなどヒップホップの萌芽があった。(嵐のデビュー曲、A・RA・SHIで櫻井くんが披露しているのはラップだ)

 

90年代の日本の音楽界とは、どんなジャンルの音楽が飛び出してくるか分からない、“びっくり箱”のような楽しさがあった。

本当に楽しく、華やかな時代だった。

 

黒夢 神話の世界の住人? YouTubeより

 

当時のような頻度で聴くことはないけれど、前述の歌手たちの音楽を、私は今でもたまに聴いている。

私の高校時代の通学時間。それは彼らの音楽と共にあった。だから私の中で、彼らはかけがえのない存在だ。

きっと、彼らの音楽を、私は死ぬまで聴き続けるのだと思う。

 

MALICE MIZER。神話の世界の住人? アンサイクロペディアより

 

そんな「神話の世界の住人たち=90年代のJ-Popスター」の中にも、三重県出身者がいる。

平井堅である。

 

90年代にデビューし、30年近くに渡りコンスタントに作品を出し続け、セールスも絶大で、第一線で活躍している「男性ソロシンガー(シンガーソングライター)」としては、福山雅治平井堅しか思い浮かばない。

というか、90年代に限らず、この二人以外思い浮かばない。

 

が、不思議なことに、私は平井堅のアルバムを当時、MDにダビングしなかったし、聴いたことすら一度もなかった。

好みじゃないのか? と自分自身に問うと、そうではない。むしろ好きだ。音楽も、ルックスも、歌手一本でやっているところも。

 

ではなぜ今まで聴いてこなかったのか?

と問われると、

「90年代J-Popスターたちの常軌を逸した層の厚さゆえ平井堅まで手が回らなかった」と言わざるをえない。

 

だから私がこの人の曲を初めてまとめて聴いたのは、三重に来てからなのだった。

 

平井堅 シネマトゥデイ HPより

 

公式HPのプロフィールによると、「三重県名張市出身」とある。

赤目四十八滝Ep.88参照)や日本酒『瀧自慢』Ep.39153参照)名張だが、ここは西に行くとすぐ奈良県。関西圏への通勤エリアだ。

 

したがってあまり三重県出身者という感じもしないのだが、ブレイク前はFM三重の番組でパーソナリティを務めたりしていたようだ。Wikipediaより)

 

そんな平井堅さんの全アルバムの全曲を、ストリーミングであらためて聴いてみた。

ドラマの主題歌、映画の主題歌、CM曲...

 

あれもこれも聴いたことがある。

自転車をこぎながら聴くことはなかったものの、中学・高校のときテレビをつけたら聴こえてきた、“あの時代”を彩った曲たちで溢れていた。

 

 

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Hirai Ken

Ep.157

1990’s is the most impressed era in the Japanese popular music history.

Lots of female singers, Visual Kei rock bands,”Komuro family”(singers produced by Komuro Tetsuya), Johnnys groups and  also hip hop stars were flourished.

Such diverse and unique artists attracted us. It was almost like a treasure box!  What unprecedented era were!

For my generation, 90’s J-Pop stars are irreplaceable existence and almost like “residents in the myth”.

 

平井堅 Hirai Ken who debuted in 1995 from Nabari city, Mie was one of them.

His several iconic songs did smashed hits, therefore he has kept No.1 sales record as male solo singers in Japan.

Now 2020’s too, his skillful songwriting and vocal performance gives new fans.

 

www.youtube.com

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www.sonymusic.co.jp

ameblo.jp

 

四日市の『市』

Ep.156

三重県最大の人口と経済力を誇る30万人都市「四日市」。

 

旧石器時代から人が住み、ヤマトタケルノミコトの伝説や壬申の乱Ep.80参照)にも登場するこの町は、8〜10世紀には条里が整備されていたとされる。

 

1470年には田原美作守忠秀(たはらみまさかのかみただひで)によって領内の殖産振興がはかられ『市』が形成。

1473年の文書に「四ヶ市庭浦」の地名が出てくることからもそれがうかがえる。

 

1555年頃になるとさらに市場は整い、「四日市」と称して毎月4のつく日(4日、14日、24日)に定期市が開催され、これが市名の起源とされる。

 

現在では国内有数の化学コンビナートを擁し、化学メーカーが席巻している工業都市Ep.1920など参照)であるが、歴史的経緯を紐解けばこの町の「アイデンティティー」は『市 いち』なのである。

 

 

そんな四日市には現在でも『市』が開かれている。

今回はそれらを紹介したい。

 

富洲原 四・九の市

開設:1954年

開催日:4、9のつく日

時間:6時半〜11時半頃

場所:富洲原イオンモール四日市北(通称・きたジャ。Ep.8参照)の近く、エディオンの隣で開かれる。毎月29日はマルシェ「29マーケット」が開催される。

 

2年前の年末に行ったら、年の瀬ということもあり盛り上がっていた。そこで買ったキッシュがとても美味しかった。

29マーケットは比較的若い世代も多く出店していた。

 

 

ふれあい四の市

開設:1999年

開催日:4のつく日

時間:9時〜13時頃

場所:四日市一番街商店街、アーケードの下。

 

市名の起源と同様の「4のつく日」に、しかも市内で最も人通りの多い近鉄四日市駅近くで開かれるこの市であるが、訪れると、規模の小ささ、客の少なさ、盛り上がりの小ささに寂しさを覚えてしまう。

 

 

三滝川慈善橋市場

開設:1922年

開催日:2、7、5、0のつく日

時間:7時半〜11時頃

場所:三滝川の河川敷で行われる。現在四日市で開かれている市の中では最も古く、最も規模が大きい。

 

真冬の朝。気持ちいいほど晴れ渡った青空の下で開かれていた。野菜・果物・鮮魚・衣服..

「本家本元保守本流」の市場である。

 

 

塩浜市場

開設:1956年

開催日:1、6、3、8のつく日

時間:7時〜11時頃

場所:近鉄塩浜駅近く

 

倉庫のような薄暗い場所の中で開かれているが、それがまた良い雰囲気を出している。華美にならない、そうしないところが良いのだ。

他の市場にはなかった精肉屋もある。和菓子屋のご主人は優しかった。

 

 

以上、私の訪れたことのある4つの『市』を紹介した。なお市内にはまだ他にも『市』がある。

 

『市』をアイデンティティーとする四日市市の現在の『市』とはどのようなものか?

もしあなたが黒門市場大阪市)や錦市場京都市)や近江町市場(金沢市)のようなところを想像していたならば、それは誤りだ。

 

平日、土日問わず、朝9時の四日市に観光客などいない。

いるのはこの街で生活をしている人々だけだ。

 

観光客相手の商売ではない。地元の人たちが、日々生活する上で必要な品物を求めにやって来る場所。

現代の四日市の『市』には、その根源を垣間見ることができる。

 

 

塩浜市場では鮭の切り身を入手した。

真冬ということもあり、その日の夕食は鍋にした。

(ちなみに鍋は萬古焼。Ep.2324137参照)

 

 

鮭とホタテと青ネギと豆腐の醤油鍋。

これが見た目、味、ともに非常に上手にでき、私がその半年で料理した中でも最高の出来だったので、私はとても満足したのだった。

 

 

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Yokka”ichi”, their identity, “Market”

Ep.156

The name of Yokka”ichi” city has been referred the market was held in this city in “4th day” since 8th century maybe.

Therefore, this might be the “Identity” of this city.

 

In preset day, several markets are held each regularly dates like 4th, 14th and 24th during a month.

All of them are NOT big one and NOT for visitors out of this city, but tiny one and for residents in each marketplaces.

Shall we visit here, to enjoy this culture?

 

www.city.yokkaichi.lg.jp

https://www.city.yokkaichi.lg.jp/www/contents/1563778366882/simple/201908joujun0809.pdf

www.city.yokkaichi.lg.jp

 

なばなの里 Spring season編

Ep.155

2023年、ゴールデンウィーク期間中の県内の観光入込客数の統計(三重県HPより)が発表された。

三重県HPより

これによると1位の観光施設は「ナガシマリゾート」で、9日間での訪問客数は66万人、とある。

ナガシマリゾートは「なばなの里」(Ep.32参照)、ナガシマスパーランド(遊園地)とおそらく「ジャズドリーム長島」(三井アウトレットパーク)も含む合算の数値である。

 

名古屋の近接であり三重の玄関口・桑名にあることの「場所メリット」が決定的に大きいと推察できるが、それでも2位の伊勢神宮・32万人を倍近く離しているのには驚かされる。

 

なばなの里 HPより

春シーズンのなばなの里において見頃を迎える花は、ざっくり示すと、

梅(3月)→チューリップ(4月)→ネモフィラ(5月)→バラ(5月)→あじさい(6月)

と移っていくようだ。

 

今回私が訪れた4月上旬には「チューリップまつり」が開催されていた。

 

 

「200種類、180万球のチューリップ」とのことだった。

チューリップをこんなに真剣に観たのは人生で初めて。

桜も満開だし、根元には次に見頃を迎えるネモフィラも咲き始めているのが確認できる。

 

 

チューリップ Tulip

私はこれまで漠然と、

あなたのスペイン語

Lip くちびる(英語)

 

で、「あなたのくちびる」だな、と考えていた。

随分となまめかしいメタファーだが、確かに「くちびる」に似てるしな、と。

 

花弁の一般が「くちびる」に似ているとも言えるが、中でもチューリップのそれと言うのは、花弁が「花開く」というよりも垂直に切り立っていて「閉じて」いるかのよう。

この湾曲している様も「くちびる」のように見える。

 

しかしこれを機にチューリップの語源について調べてみると、トルコ語の「Tulipan(チューリパ)」とされ、チューリパとはトルコで使用されるターバンのような帽子、とのことだった。

全然、くちびるではなかった。

 

なるほど、確かに花弁が「開いて」いる品種もたくさんある。

 

「花ひろば」の上空からの様子 朝日新聞デジタルより

 

ため息が出るほど圧巻の光景。とても楽しめた。

 

 

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なばなの里 Nabanano-sato in the Spring season

Ep.155

The Tulip festa was held in Nabanano-sato.

Spring is the season of Tulip, therefore millions of flowers flourish and let us know how diverse shapes and colors this is!

 

www.pref.mie.lg.jp

https://www.nagashima-onsen.co.jp/nabana/event/flower/index.html

www.kateigaho.com

 

ラグビー 三重ホンダヒート vs NECグリーンロケッツ東葛 編

Ep.154

22-23シーズン、リーグワンDivision2のレギュラーシーズンを2位で終えた三重ホンダヒート

続くDivision2内の順位決定戦も2位で通過した彼らは、いよいよDivision1のチームとの入替戦に駒を進めた。相手はDivision1のレギュラーシーズンを11位で終えた「NECグリーンロケッツ東葛」である。

 

今シーズンのヒートにとって最大の目標、悲願のDivision1昇格に向けたクライマックス。

5/5にホームの鈴鹿で迎えた第1戦は、34-25で勝利。

 

第1戦は34-25で勝利 三重ホンダヒート 公式HPより

 

昇格に王手をかけたヒート。

第2戦に勝利することで文句なしの昇格だ。

両者の実力は互角。

 

5/13に敵地・柏の葉スタジアムにのりこみ、“最終決戦”が行われた。

 

トンプソン・ルーク選手 ラグビーリパブリック より

 

<現代ラグビーにおける最重要ポジション “LO ロック”>

日本代表の南アフリカ撃破で盛り上がった2015ラグビーW杯。Ep.89参照)

大会を終えた後、この大会で3勝を挙げたジャパンの「MVPは誰か?」

という声がファンの間であった。

 

世間に名を知らしめた五郎丸歩Ep.30参照)

主将、リーチ・マイケル

いや、エディ・ジョーンズ監督に決まってるだろ!

 

など。

しかし私の考えでは、トンプソン・ルーク以外ありえなかった。Ep.98参照)

 

彼はトライを取った訳でも派手な活躍をした訳でもなかった。

しかし、ラインアウトのジャンパーとして空中線を制し、スクラムでは第2列として支え(この部分は外から見る人間にとってはブラックボックスだが..)、チョークタックル(相手を倒さずに立ったままでボールに絡む。身体の大きな選手だからこそできる技)で相手に脅威を与え、80分間走り続けた。

 

この選手の業務量というのは大変なものであり、彼こそがチームで最も活躍していることは明白だと思ったのだ。

 

近鉄ライナーズ時代(2008年)

 

大会後のラグビーマガジンのW杯特集号を読んでいるとき、まさに「日本代表のMVPは誰か?」という問いに対する読者の意見を載せたページがあった。

 

すると驚いたことに、ラグビーマガジンの読者からもMVPとして最も多くの票を集めたのはトンプソン・ルークだった。

 

にわかラグビーファンがこのような企画に意見をよせるはずがない。

声を届けたのは、毎月ラグビーマガジンを購入しているようなコアなラグビーファンたちだろう。

「やっぱりラグビーマガジンを読んでいる人たちはよく見ているな」

と感心した。(そして私の“見る目”も間違っていなかったな、と思った)

 

そうなのだ。LO ロック(4番、5番)というポジションは、計り知れないほど大きな影響をチームに与える。

私は2014年にワールドラグビーの年間最優秀選手にブロディ・レタリック(204cm)が選ばれたあたりからそう思い始めていたが、2015年のトンプソンの活躍で確信したことがある。

 

現代ラグビーで最も重要なポジションはロックである。

 

ブロディ・レタリック NZ代表。20-21シーズンはコベルコ神戸スティーラーズに所属 Planet Rugby HPより

 

ロックの選手の特徴は、まずチームで一番の長身選手であることが挙げられる。

インターナショナルレベルでは200cm超えが求められ、196cmのトンプソンでも「小さい」と文句を言われる可能性すらある。とんでもない話だ。

 

強豪国のロックというのは大体が身長200cm以上、体重115kg以上の選手たちとなる。

身体が大きすぎて、普通だったらしゃがんだり立ったりすることすら大変だと思うが、彼らは試合中、走って、飛んで(ラインアウト)、寝て(タックル)、はたまたHOとPRの太ももの間に顔を入れて肩で彼らのお尻を押したり(スクラム)、というようなことをしながら対人でのフィジカルバトルをも80分間続けている。

 

脅威の人間たちである。

 

サム・ホワイトロック(202cm) NZ代表。レタリックと最強のLOコンビを形成。19-20シーズンはパナソニックワイルドナイツに所属 NZ Herald より

 

ところで私が高校ラグビーをしていた2000年代初頭、当時ブームだったPRIDEやプロレスにジャイアント・シルバ(230cm。ブラジル)とジャイアント・シン(230cm。インド)というレスラーがいた(正真正銘230cnだったかは不明)。

 

私は彼らがラグビー選手に転向し、二人でロックのコンビを組めば最強なんじゃないだろうか? と真剣に考えたことがあったが、今思えば、ラグビーに対する洞察力・考察力の点で浅はかだったと言わざるを得ない。

 

ジャイアント・シルバ wikipediaより

 

ジャイアント・シン wikipediaより

 

「走れない230cm」がロックにいたところで、まったく役には立たないだろう。

 

なぜかと言うと、これは勘違いしがちなことでもあるが、ラグビー選手にとって(インターナショナルレベルの選手においても)、求められる最も重要なスペックは「身体のサイズ」ではなく「走力」だからだ。

 

都合の良い日本語があるから「走力」と表しているが、具体的には、絶対的なトップスピード・俊敏性・スプリント回数・ランニングスキル・持久走の能力、といったものだ。Ep.54参照)

 

言うまでもなく、200cm超え、115kg超えの世界のロックたちはこれらの能力を備えている。

大前提としていわゆる“アスリート的”な選手でないとダメだ。アスリート Athleteとは本来、陸上競技選手という意味だ。

 

 

ホモサピエンスの到達点 2019W杯スプリングボクスのロック陣>

2019W杯で優勝した南アフリカ代表・スプリングボクス

このときのロック陣を振り返ってみよう。

 

LO エベン・エツベス 203cm(15-16シーズンはNTTドコモレッドハリケーンズに所属)

LO ルード・デヤハー 206cm(22-23シーズンは埼玉パナソニックワイルドナイツに所属)

LO RG・スナイマン 206cm(17〜20シーズンまで三重ホンダヒートに所属)

LO フランコ・モスタート 200cm(20シーズンから三重ホンダヒートに所属)

FL ピーター・ステフ・デュトイ 200cm(21シーズンからトヨタヴェルブリッツに所属)

 

なんと5人のプレイヤーが200cm超えであった。

FLのデュトイは元々ロックだったがあまりにも走れるものだからFLフランカーになった(2019年のワールドラグビーの年間最優秀選手)。

 

ピーター・ステフ・デュトイ SA Rugby magazine より

 

大会中は、エツベスとデヤハーがスタメン、スナイマンとモスタートがリザーブで出てくるというパターン(デュトイはフル出場)だったから、常に200cm超え選手が3人フィールドにいる状態だった。

 

「走れる200cm選手」を数多く揃えられたこと。そして優勝を果たせたこと。

私はこれは快挙だと考えている。

 

ホモサピエンスにとっての、である。

 

RG・スナイマン Sky Sports より

 

バレー選手やバスケ選手も200cm超え選手はたくさんいるじゃないか、と言われるかもしれない。

しかし、試合中ほとんど走らないバレーやフィールドが小さいバスケとは、ラグビーは根本的に異なる。

 

80分間広大なフィールドを駆け回る走力。

跳んで、押して、フィジカルバトルをする体力。

一試合におけるエネルギー消費量・消耗度は他競技の比にはならない。

ラグビー選手とは、とてつもなく過酷なことをしている人たちなのである。

 

人間の限界域を拡げた2019年のスプリングボクス。それはホモサピエンスにとっての、一つの到達点と言えた。

 

フランコ・モスタート SA Rugby magazine より

 

フランコ・モスタートの献身>

現在の三重ホンダヒートにも200cm超えのロックがいる。前述のフランコ・モスタート選手(20シーズン〜)である。

スナイマン選手も17〜20シーズンに在籍していたから、なんとヒートにはこの6シーズンに渡ってスプリングボクスのロックがいることになる。

 

そんな彼らがチームを強力に支えたことは明白である。

 

三重ホンダヒート 公式HPより

 

モスタート選手はヒート在籍3年目。この間、チームにマイボールラインアウトの安定感をもたらし、相手ボールラインアウトでは脅威を与え続けている。

 

今年4月に配布されたファンクラブ会員向けの広報誌にて、モスタート選手はインタビューで述べていた。

スプリングボクスのコーチ陣は毎週、鈴鹿の試合を観ている。僕のパフォーマンスをチェックしている」

と。

 

日本プロラグビーの2部リーグの、鈴鹿という地方の小さな街から発信される活躍が、世界へと、「W杯連覇」という彼自身の夢へと繋がっている。

 

W杯前のシーズンという区切りの良さも考えると、本22-23シーズンは彼にとってヒートでの集大成と言えるかもしれない。

 

 

<第2戦>

冒頭の話に戻ろう。

最終決戦。雨の柏でキックオフ。

 

ヒートのロックの先発はモスタート選手(5番)とヴィリアミ・アフ・カイポウリ(ヴィミ)選手(4番)。先の回Ep.145参照)でも述べたが、この2人のロックコンビはDivision2最強だろう。

 

三重ホンダヒート 公式HPより

 

ヒートは前半10分、FBトム・バンクス選手(15番)が早くも負傷退場することになってしまったが動じない。

交代して入ったFBダーウィッド・ケラーマン選手(23番)が先制トライを挙げる。

 

グリーンロケッツはマイボールラインアウトに苦戦。モスタート&ヴィミコンビにプレッシャーをかけられている。

 

前半を終えてヒートが10-0でリード。

昇格に向け、とうとう最後の40分間となる。

 

三重ホンダヒート 公式HPより

 

力強くゲインするヒートのWTB藤田慶和選手(14番)。東福岡→早稲田大→パナソニックワイルドナイツのキャリアはラグビーエリートそのものであり、早稲田在学中の2015W杯では日本代表に選出され、アメリカ戦ではトライも獲った。

 

そんな男が今シーズンからヒートにやって来た。

鈴鹿から、Division2のチームから、再出発を誓う男がチームの勝利のために走る。

 

もう一人、CTBクリントン・ノックス選手(13番)の突進も心強い。

 

三重ホンダヒート 公式HPより

 

後半23分、ヒートのSOケイレブ・トラスク選手(10番)がPGを決めて13-5。

仮に1勝1敗でも2戦合計の得失点差で競われるため、ヒートとしてはこの試合で6点差以上で負けなければOK。つまりこのスコアから多くても14点を失わなければ良い。

歓喜は確実に近付いているように見えた。

 

しかし直後の後半24分。トラスク選手がシンビンで10分間の退場になってしまう。

少しイヤな空気になりつつある中、ヒートにとっては更なる事態が襲う。

 

相手チームの、“ある選手”がその情熱の全てを燃えたぎらせ、持てる力の全てを出し尽くさんとしていたためだ。

ラスト15分間。

三重ホンダヒートの前に立ちはだかったのは、19シーズンまで共に戦った仲間であり、現在ではグリーンロケッツの主将となったFBレメキロマノラヴァ(15番)であった。

 

<Division1入りへの“門番” レメキロマノラヴァ>

レメキロマノラヴァ(写真は第1戦) NECグリーンロケッツ東葛 公式HPより

 

この試合の開始前、私はレメキ選手を見て、これまで見てきた彼とは「面構え」がまるで異なることに驚いていた。

険しく、精悍な顔は“闘将”と形容するのにふさわしいものだった。

 

FBからライン攻撃に参加してくる彼はヒートにとってはただ脅威でしかなく、私は

「レメキにボールを持たせないでくれよ」

と思っていた。

 

そんなレメキ選手は後半30分、相変わらずの無双のスピードと強靭なフィジカルを持って突進。

トライを奪ってみせた。

そして直後のコンバージョンキックも、難しい角度からなんと自身が蹴って成功。

ゲームの流れはグリーンロケッツに移った。

 

私はレメキの八面六臂の活躍に圧倒されていた。タッチキックもプレースキックも担当は彼だ。

2019W杯のときは、WTBとして誰よりもゲインしてくれたレメキ。WTBに求められる役割は究極的に言うと「ボールを持って前に走ること。トライを獲ること」だけである。他のどのポジションよりも明確でシンプルだ。

 

代表ではそんな「シンプルな役割」を与えられて大活躍したレメキ。

その一方で、所属クラブではキックやリーダーシップを初め「多くの役割」を与えられていた。そしてまた、その全てを脅威的な質の高さでこなせてしまう

 

日本代表に選ばれるような選手というのは、改めて異次元の万能性を有していると言わざるを得ない。

 

三重ホンダヒート 公式HPより

 

試合残り9分でヒートが13-12。

もしグリーンロケッツに1トライ1ゴールを許してしまえば13-19。ちょうど6点差であり、昇格の夢は絶たれる。

 

あまりにも出来すぎな極限のシチュエーション。

ヒートにとってレメキロマノラヴァとは、Division1への“門番”なのか?!

 

三重ホンダヒート 公式HPより

 

その後も勢いは完全にグリーンロケッツ

ヒートは何度も深く攻め込まれるが、例えば後半35分、自陣ゴール前で日比野壮大選手(3番)が “スーパー・ジャッカル”を発動してピンチを凌ぐ(このプレーで負傷退場)などトライラインを破らせない。

 

そして後半39分30秒。ヒートは中央の安全エリアでマイボールスクラム

「これで勝ったな」

と思った私だったが、ここで信じられないことが起こる。

 

ペナルティを犯し、相手ボール。試合時間残り30秒。

レメキのタッチキックでゴール近くへ持っていかれてしまった。

「何やってんだよ!」

と私は声を荒げていた。

 

グリーンロケッツラインアウト

ここで投げ入れられたボールは、、、なんとヒートの最前列にいたFLテトゥヒ・ロバーツ選手(19番)がカット!!

タッチに蹴り出してノーサイド!!

 

三重ホンダヒート、悲願のDivision1昇格が叶った瞬間だった。

 

ラストワンプレー、モスタート選手とヴィミ選手、LOコンビのプレッシャーが活きた。

この試合、グリーンロケッツはずっとマイボールラインアウトのキープに苦戦していたからだ。彼らが投げ入れる場所の選択肢は、着実に限られていたのだ。

 

三重ホンダヒート 公式HPより

 

プレイヤーオブザマッチにはヒートの主将・FL古田凌選手(7番)。

比類なきファイティングスピリットを持ち、刈って刈って刈りまくりタックルマシーンと化した男の受賞だった。

 

三重ホンダヒート 公式HPより

 

本当に、魂が震えるような試合だった。22-23シーズン、リーグワン全試合を通じてもベストゲームだと思う。

(実質この一試合のためにJ-Sportsラグビーパック¥1,980月額を払った価値があった)

 

来シーズン、W杯後には世界のスーパースターも続々リーグワンにやって来ることだろう(大物の移籍は一部既に発表されている)。日本と世界のラグビースターたちが、鈴鹿で観れるのだ!

 

NECグリーンロケッツ東葛 公式HPより

 

一方のグリーンロケッツ

レメキ選手は涙でファンに謝罪。その姿は痛切以外の何物でもなかった。

 

私は2002シーズンのNECを思い出していた。

リーグ戦では歯が立たなかったサントリーを相手に、日本選手権決勝で見事なリベンジ。

ビッグプライズを起こし初の日本一に輝いた箕内拓郎主将率いるあのチームを。

 

私はこの試合を扱った20年前のラグビーマガジンの見出しと記事内容をも憶えている。

そこにはこうあった。

 

人間はどん底から這い上がるときのエネルギーが最強

 

NECグリーンロケッツ東葛とレメキ選手の、来シーズンからの再起も願っている。

 

 

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Rugby Mie Honda HEAT vs NEC Green Rockets Tohkatsu

Ep.154

For Mie Honda HEAT, it was the significant match to go to Division 1 of Japan Rugby League ONE.

They defeated NEC Green Rockets Tohkatsu as 13-12, therefore finally did it!!

 

Franco Mostert, Furuta Ryo and Fujita Toshikazu showed emotional performance for their victory.

On the other hand, I was impressed Lemeki Lomano Lava’s fighting spirit!

 

This must be the soulful marvelous match for each fans.

 

HEAT has achieved their biggest mission in these 2 seasons.

In next 23-24 season, I look forward to seeing their fight against more strong teams of Division 1.

 

www.honda-heat.jp

green.necrockets.net

news.yahoo.co.jp

 

三重の大酒蔵市

Ep.153

三重県の地酒(純米酒)をとりあげたEp.39から2年。このときは55銘柄を紹介していた。

その後も三重の純米酒を飲み続けた私は、先日数えたら110銘柄に到達していた。

 

こんなに多くの三重の純米酒を飲んだことのある人はそういないだろう。

 

私が愚直に三重の純米酒を飲み続けていることを職場の人間に話すと、○○さんも日本酒が好きだ、△△さんも詳しい、など自ずと社内の他の日本酒好きの人たちを把握することとなり、いつしかその○○さんと酒に関する会話を交わすようになり、色々な情報がもたらされることとなった。

 

そんな日本酒好きのある先輩社員の一人から、聞いたイベントが「三重の大酒蔵市」だった。

 

 

コロナで中止されていたため3年ぶり(2019年9月以来)の開催。

私が四日市に越して来てからすぐにコロナの社会になってしまったため、私は参加したことがなかったのだった。

 

 

開催日は雨。けれど会場は近鉄四日市駅前の商店街でアーケードなので問題なし。

11時開始のところ、11時15分に着くとわんさか人がいた。

さすが「30万人都市、四日市」の力を見せつけてきたな、と思った。

みなさんもう既に酒を飲んだり弁当やつまみを食べたりしていた。

 

 

当日券¥4,000で9枚綴りのチケットとおちょこを受け取る。

基本的にはチケット1枚とおちょこ1杯(約90mL)が引き換えで、各酒蔵の各銘柄が飲めるというシステムだ。食べ物との引き換えもできる。

 

「瀧自慢 純米吟醸 備前雄町(瀧自慢酒造、名張市)」

「義左衛門 G-collection 三重県酵母 MK-5(若戎酒造、伊賀市)」

「& WAGYU(中山酒造、松阪市)」

 

19の酒蔵が出店されていた。私は飲んだことのない銘柄(と言っても数えるほどしかなかった)を飲み進めることにした。

 

途中で、食べ物の何かとチケットを交換しようかな、とも思った。

が、「いや、私は今回“酒を飲みに来た”のだ」と思い直し、9枚のチケットはオール酒で行くことに決めた。

 

そんな意地の姿勢のせいで、途中から酔って気持ち悪くなってきた。

 

「参宮 純米吟醸 あんぷれゔゅ(澤佐酒造、名張市)」

天一 無濾過生 純米原酒(早川酒造部、川越町)」

「青雲 颯 純米吟醸 神の穂(後藤酒造場、桑名市)」

 

結果的に6銘柄を試飲。全てこれまでに飲んだことのないものだった。

 

最も印象的だったのは「参宮 純米吟醸 あんぷれゔゅ」。ヨーグルトのような風味で良かった。

参宮は『月夜見』を以前に飲んだことがあったがこちらはかなり辛いものだった。『あんぷれゔゅ』は存在も知らなかったが、2,000円後半で販売されている高級路線の純米酒のようだ。

 

でもやっぱり一番は「瀧自慢」だ。今回の『備前雄町』は初めて飲んだが、『ノーマル純米吟醸』や『神の穂』と並ぶ旨さ。ふくよかで余韻も良い。今回唯一、2杯飲んでしまったのだった。

 

瀧自慢は2016年の伊勢志摩サミットの乾杯酒となった『純米大吟醸』や『酒門 JAPAN PROUD』が他県の人にとっては人気かもしれないが、これらは白ワインタイプのもの(要するに「獺祭」のように甘ったるくて華やか。私の好みではない)であり、そっちの路線が真ではないのだ。

 

 

という感じで、私は滞在時間が1時間に満たないスピード勝負だったが十分楽しめた。

 

「チケット1枚¥444=おちょこ1杯」なので随分高いな、と途中で気付いたが、既に酔っていたこともあり、まあいいか、となったのだった。

 

 

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Sake made in Mie event 三重の大酒蔵市

Ep.153

The Sake event held in the center of Yokkaichi city and was for the first time in this 3 year due to corona virus pandemic.

People who bought tickets exchange a filled with cup (90mL) of Sake and tried various 50 kind of sake made by 19 makers from Mie.

But I knew almost all of them, because I have already 110 kind sake of this prefecture!

 

heijiro.wixsite.com

 

伊勢擬革紙

Ep.152

先日、鈴鹿イオンモールRight-onの店内を歩いていたら「ランチコート」が柱の上にディスプレイされていた。

モコモコで暖かそうな裏地のボア、それとは対照的にゴツい表側の皮。重厚なヴィジュアル。

それは販売品でもあり、値札を見ると17万円、Made in USAとあった。

 

これは「本物のランチコート」だな、と思った。

 

イメージ OTOKOMAE HPより

 

ランチコート(Ranch Coats)とは「皮がついたままの羊の毛」を利用したコートのこと。アメリカの牧場で防寒用の作業着とされたことが発祥とされる。

 

イメージ The Sheepherder HPより

 

私は大学生の頃、このランチコートに憧れ、好んで着ていたことがあった。

それはあるマンガのキャラクターが着ていたのがカッコよく、自分も同じものを着てみたいと思ったからだ。

 

少年ジャンプ HP より

 

言わずと知れた「ろくでなしブルース」。

週刊少年ジャンプ「黄金の週600万部時代」を彩ったドラゴンボールスラムダンク幽々白書ダイの大冒険..

その一角を占めた大人気マンガである。

 

吉祥寺・帝拳高校の主人公・前田太尊(たいそん)の、喧嘩に明け暮れる日々、そしてボクシングと出会い、やがて情熱を注ぎ世界チャンピオンを目指す姿が描かれる、不良&青春マンガだ。

 

私は小学生だった頃、黄金時代のジャンプを親に買ってもらっていたが、ドラゴンボールやスラダンをはじめ数作品しか読んでおらず、実はこの「ろくブル」は読んでいなかった。(ただ母は「買ったのにもったいないから」ということで「ろくブル」を含めほぼすべての作品を読んでいたようだ)

 

そんな私は大学生になって、なんとなく「ろくブル」に関心が湧き、文庫版25巻を大人買いして読んだらハマってしまったのだった。

 

そして私が作中、最も好きになったキャラクターが「渋谷の鬼塚」だった。

 

渋谷の鬼塚 ネット上の画像より

 

渋谷の鬼塚とは、

吉祥寺の前田(主人公)

浅草の薬師寺

池袋の葛西

と並ぶ東京の不良「四天王」の一人であり、渋谷の番長をしている見た目通りのワルだ。

 

ただし理知的な面も併せ持ち、大阪最強の不良・川島とその仲間たちが修学旅行で東京を訪れた際、「四天王」との間で勃発する乱闘においてそれを発揮する、そんなキャラクターである。

 

その鬼塚が愛用し、彼の「象徴」とも言えるアイテムがランチコートなのだった。

 

左から鬼塚、薬師寺、前田、葛西 SNSエンターテイメント HPより

 

私は鬼塚が着ているようなランチコートがどうしても欲しくなった。

そこで、当時小金井に住んでいた私は吉祥寺に向かったのだった。(それこそ渋谷で買えよ、と言われそうだが遠いので行くのがだるかった。前田の本拠地ということもあるし吉祥寺で買う「意味」は持つだろうと思った)

 

確か吉祥寺のマルイで買ったと思う。裏がボアになっている焦げ茶色のランチコート。鬼塚の着ているものに色が似ていて満足だった。値段は1万円くらいだったと思う。

 

対応してくれた男性店員さんに

「渋谷の鬼塚に憧れてランチコートを買いに来ました」

と言ったら、

私よりも10歳くらい年上だった(ように見えた)その人は、

「懐かしいっすね、ろくブル! スクリューフ〜ック!」

と言って、主人公・前田太尊の得意技の一つを実演までして見せてくれた。

 

 

だからこのとき買ったランチコートは、私の人生で購入した服の中で最も印象的なものの一つだ。

その数ヶ月後、私は初めて観光で海外を訪れることになったが、その際もランチコートを着て行った。2008年の1月の話だ。

真冬の香港でそれは快適だった、かどうかまでは憶えていないが、とにかく当時、ランチコートは私のお気に入りだった。

 

このときのランチコート、今はどこにあるのだろう?

売った記憶も捨てた記憶もないから、実家の押し入れのどこかに眠っているだろう。

 

擬革紙の会 HPより

 

ところで当時私が購入したランチコートはもちろん「本物」ではない。

表地は「フェイクレザー」であり、裏地のボアは、憶えていないがこれも羊毛ではなかったはず。何しろ1万円で買えたのだから。

 

「本革」であるかのような見せるのは合成皮革であり、樹脂でできている。現代に創り出された技術だ。

ところでこの本革のimitation(模造)の技術というのは昔の日本にも、江戸時代にもあったようだ。

 

擬革紙(ぎかくし)である。

革に擬(なぞら)えた紙のことで、350年前に生まれた。

1684年、伊勢国の池部清兵衛が油紙を改良して擬革紙の製造を開始。煙草入れに加工して売り出したところ、伊勢参りのお土産として大流行したのだという。

 

擬革紙の会 HPより

 

一度は途絶えたこの技術を現代に工芸品の「伊勢擬革紙」として復活させたのが参宮ブランド「擬革紙」の会だ。 

彼らは財布や朱印帳カバーなど身の回りのアイテムを擬革紙で製作し、販売している。

擬革紙は玉城町明和町の「三重県指定伝統工芸品」にもなった。

 

 

私も伊勢擬革紙でできたメガネケースを手に入れてみた。

丈夫で品がある。水に濡れても大丈夫だ。手触りはまだしも、見た目は本当に革に擬えてある。

何よりも圧倒的に軽い。さすが紙だけあって冗談みたいな軽さだ。

 

以来、私はこのメガネケースを愛用している。

 

 

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伊勢擬革紙 Ise Gikakushi (Ise Imitation leather paper)

Ep.152

Imitation leather is a method to supply durability and elegance like "true leather" as lower price in apparel industry.

The most of it was made of resin like urethane, but in Mie, there has been "Imitation leather paper" since Edo period.

Paper is able to substitute leather, isn’t it?!

 

Tabaco case made of this paper was popular and became a souvenir for visitors to Ise-shrine at that time.

In present day, a citizen group revived this imitation leather paper as a traditional craft "伊勢疑革紙 Ise-gikakushi".

They prepare various daily products like glass case and tell us this authentic technic.   

 

gikakushi.jp

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霞ヶ浦野球場 プロ野球二軍戦編

Ep.151

日本代表の優勝で幕を閉じた第5回WBC (World Baseball Classic)。

遡る1次ラウンドの日本の初戦、TV中継を観ながらプレイボールを待っていたとき、

そういえば2006年の第1回WBCの韓国戦を東京ドームで観戦したことがあったっけ

と電撃的に思い出した。

 

私はスポーツに関する記憶力には抜群の自信を持っているが、これは忘れていたのだった。

 

第1回WBC Baseball King HPより

 

私の世代は、子ども時代から大人に至る成長過程で、“プロ野球のトップ選手たちが野球の国際大会に出場し始めた時代”と重なる。

 

子どものとき、「なんで野球にはプロのスター選手たちが出る国際大会がないのだろう?」

と思っていたものだった。

サッカーがW杯出場に向けて奮闘していた(Ep.118参照)だけに。

 

当時小学生の私は、祖父を相手に庭で二人で野球の試合をしていたのだが、私の自作・自プレイチームは、スター選手たちで構成された「野球日本代表」だった。

 

それは何かと言うと、(私は広島カープファンなので)野村、緒方、前田、江藤、金本、佐々岡といった選手たちにイチロー、清原、松井秀喜、野茂、佐々木、斎藤雅樹などが加わったチームである。

要するに「私が考える最強日本代表チーム」であった。1996年とか97年の話である。

(90年代の赤ヘル打線は最強なので、打線に関しては他チームから少し選手を加えるだけで良かった)

 

イチローの打ち方も、野茂の投げ方も、真似したものだった。

 

Number Web より

Full-Count HPより

 

子どもの私でなくても、野球ファンなら誰もが一度は夢想したことがある「正真正銘の野球日本代表」。

私が中学三年生だった2000年のシドニー五輪がその嚆矢だった(正確にはそのアジア予選だが)。

パリーグ6球団を中心に松坂大輔中村紀洋黒木知宏松中信彦田口壮といったトップ選手が選出されたのだ。

 

しかし「正真正銘の野球日本代表」を望む身からすれば大きな不満があったことに疑いはない。

前述の彼らを除くと、あとはほぼアマチュア選手だったからだ。

 

2000年シドニー五輪・野球日本代表 Olympics HPより

 

彼らの試合は、アジア予選も五輪本戦もTV中継されたので私もよく観ていた。(オーストラリアなので時差の問題はなかった)

松坂が、黒木が、日の丸を背負って「日本代表」として投げている。

その光景はやはり興奮するものがあったが、しかし彼らが残した「結果」は衝撃を与えた。

 

アメリカ、キューバ、韓国に勝利できず、4位に終わったのだ。

プロ野球のトップ選手を派遣したのにメダルにも届かない

 

マスコミのみならずファンも大いに驚いた。何しろ、1984年のロサンゼルス五輪(公開競技)以来、常に獲得してきたメダルを逃したのだから。

4年前のアトランタ五輪では、アマチュア野球界最強の代名詞・キューバ代表からプロ選手抜きで大金星を挙げていたのに。(サッカー男子の“マイアミの奇跡”と比べてなんて知名度の低いことか。みんな忘れている。やはりキャッチコピーは偉大である)

 

3位決定戦で敗北後、TVカメラの前で悔し涙を流した中村紀洋選手の姿ほど印象的なものはなく、更なる驚きを私に与えた。

ただ今振り返ると、このときの中村ノリの涙が「正真正銘の野球日本代表」が誕生する「産声」となったように思える。

(2023シーズン現在、中村紀洋氏は中日の二軍打撃コーチ)

 

中村紀洋選手(右) 朝日新聞デジタルより

 

2004年のアテネ五輪では、松坂大輔上原浩治黒田博樹など錚々たるメンバーのオールプロ選手で編成して銅メダルを獲った。

 

しかしオリンピックの野球競技で残念に思うことは、ドミニカ共和国ベネズエラプエルトリコパナマといった中南米の野球強豪国が全く見当たらないことだ。

日本プロ野球界の外国人スラッガーで実はアメリカ人選手が少ないことくらい、プロ野球選手名鑑を見れば小学生でも容易に気付く。

 

大好きだったL.ロペス選手 96、97年の打点王。驚異的に打点を稼ぎ、私の中では今でも「カープ史上最強の外国人バッター」 ラブすぽ HPより

 

90年代の日本のプロ野球界は、どのチームにも中軸に強力な外国人バッターがおり、彼らが本塁打や打点を量産して個人タイトルを獲得していた。

出場登録できる外国人選手の人数に限りがあるのは、そうでもしないと全員が外国人選手になってしまうからだ。

そもそも彼らを「助っ人」と呼んでいる時点で、

自分たち(=日本人選手)よりも外国人選手の方が実力が上

とみなしている証左じゃないか。

 

加えて言うと、日本のプロ野球で活躍する外国人選手というのは、

本当はメジャーリーグで活躍したいけど実力的に無理だった人たち」じゃないか。

 

以上のように、純然たる事実をもとにどう合理的に考えても、「日本・日本人選手が野球で世界一」である訳がない、というのが小学生のときから私が思っていたことだった。

だから「五輪でメダルを獲得(=世界で3番以内)したって、それは実態を反映していないじゃないか」と。

 

 

そんな、子どもの私でなくても思うことを、世界の他の人たちも思っていたことだろう。

「結局、野球でどの国が一番強いの?」と。

アメリカだと思うのが普通だけど、そうじゃないかもしれないし、仮にそうだとして、じゃあ二番目に強い国はどこなの?」と。

 

中南米の国々と、メジャーリーガーが出場し、「正真正銘の野球世界一を決める国際大会」がスタートする時代が迫っていた。

WBC (World Baseball Classic)の創設である。

 

Number Web より

 

そのような訳だから、2006年の第1回大会が始まったとき、

「とうとうホンモノの大会が始まりやがった」

と思ったものだった。私は20歳になっていた。

 

大会前、日本中を歓喜させたのはイチロー選手が出場を表明したことだった。

2004年のアテネ五輪日本代表メンバーは確かにすごかったけれど、それでも「日本プロ野球史上最高の打者」にして日本人メジャーリーガーの“象徴”であるイチローがチームにいるか、いないかというのは、全く次元が異なる話だった。

松井秀喜選手は参加しなかったものの、それでもイチローが出場する時点で、日本代表は“ザ・ベスト”と言えるものだった。

 

朝日新聞デジタルより

 

冒頭の韓国戦の話に戻ろう。

私が大学の友人2人と東京ドームでいっしょに観たのは、第1ラウンドの韓国戦で、今調べると2006年3月5日とある。

当日券を購入し、やや三塁側のキャッチャーの後方遥か上階だった。グラウンドまで遠く離れていて選手は小さくしか見えなかったが、それでもチケット代は¥8,000くらいしたと思う。

 

私たちの後ろの席には少年野球のコーチが野球少年数人を連れて観戦に訪れていて、子どもたちにプレーを解説していた。

「味方が点を獲ってくれた次の回は、投手は絶対に点を獲られてはいけないよ」

とか、

「サードゴロだけど悪送球に備えてキャッチャーが一塁手のカバーに走っているよ」

とか、

「ほら見てごらん。あそこにピンクの服を着た人たちが見えるでしょ。あれは林家ペー・パー子だよ」

とか言っていた。

(確かに、私たちのはるか左前方に林家ペー・パー子いるのが確認できた)

 

読売新聞オンラインより

 

対戦相手の韓国は、これまで五輪で散々負けてきた相手だった。

けれどそれは「イチローがいないチーム」での話。

 

イチローがいる「正真正銘の野球日本代表」ならば、日本はアジアで最強。少なくとも韓国には負けるはずがない。というのが世間の見方だった。

それは今思えば、先入観や“おごり”そのものなのだが、当時はそのような認識だった。

 

9回の攻撃を残して日本は1点ビハインド。2死からバッターはイチロー

「え? ほんとにこのまま負けるの? まさかね?」

が、想いも虚しく、高々と上がったキャチャーフライでゲームセット。

「ま、負けやがった..」

 

私は衝撃を受けたがそれは他の観客も同様だった。

イチローがいても韓国には勝てないんだ..

日本と韓国、「トップ選手」たちの「地力」で比較するならば、両国に差なんてなかったのだ。

 

 

話を2023年の三重県に持っていこう。

私の職場の地元出身者たちで考えると野球熱はそう高くないように見えるが、プロ野球だと中日ドラゴンズファンであることが多い。

 

2023年、立浪監督が就任して2年目のシーズンが開幕した。

今、ここに中日ファン(竜党)を歓喜させた事実がある。

 

WBC日本代表「侍ジャパン2023」の全成績

<練習試合・強化試合>

vs 福岡ソフトバンクホークス:8ー4 ○

vs 福岡ソフトバンクホークス:4ー2 ○

vs 中日ドラゴンズ:2ー7 ●

vs 中日ドラゴンズ:4ー1 ○

vs 阪神タイガース:8ー1 ○

vs オリックスバッファローズ:9ー1 ○

 

WBC本戦>

vs 中国:8ー1 ○

vs 韓国:13ー4 ○

vs チェコ:10ー2 ○

vs オーストラリア:7ー1 ○

vs イタリア:9ー3 ○

vs  メキシコ:6ー5 ○

vs アメリカ:3ー2 ○

 

通算成績;12勝1敗

 

そう。大谷翔平ダルビッシュ有を擁し、第5回WBCを大会史上初めて全勝優勝した「侍ジャパン2023」。

そんな「WBC史上最強チーム」とも呼べる彼らが、唯一敗れた相手が中日ドラゴンズだったのだ!?

 

落合博満監督退任後、セリーグNo.1の弱小球団に成り下がった中日ドラゴンズ

今シーズンこそは、と期待を抱く竜党は歓喜したのだった。

(が、そんな中日は5/18時点でセリーグで断トツの最下位である)

 

 

4月上旬。プロ野球2023シーズンが開幕して一週間。

四日市で中日と福岡ソフトバンクの二軍戦(ウエスタンリーグ)が開催された。

スタジアムの「霞ヶ浦第一野球場」は、競輪場(Ep.97参照)の隣にある。

 

私はこれまで、色々な野球場で何度もプロ野球の試合を観戦してきたが、二軍戦と地方球場は初めて。

家族とともにピクニック気分で訪れたのだった。

 

 

プレイボール前の花束贈呈のときまで知らなかったが、中日は片岡篤史監督、ソフトバンク小久保裕紀監督だった。

日本のプロ野球の場合、元・名選手が指導実績もなくいきなり一軍の監督に就任、ということがざらであるが、近年のトレンドは二軍監督を経由するようだ(オリックスの中嶋監督、ヤクルトの高津監督もそう)。

 

二軍監督を経験することで、選手の特性、人間的な部分も含めてより理解が深まり、自身のコーチングにいかされるのだろう。

 

特に小久保監督は日本代表の監督(2017年第4回WBC時の監督)でもあった。

近い将来、間違いなく一軍監督になるはずだが、その前に二軍を経験させるという方針。さすが育成と結果を両立しているホークスは違う。

 

 

プレイボール!

ソフトバンクの先発は一軍での実績十分だが一軍の開幕ローテに入れなかった武田翔太

二軍戦である今回は私でも知っている選手が出るだろうか? と思っていた。そんな中での武田。地方の、四日市の野球ファンにとっては嬉しい。頑張れ武田! というところだが、序盤から失点を重ねる。

 

石川昴弥選手 中日新聞 HPより

 

中日は将来の4番候補・石川昴弥選手(2019年ドラフト1位)、ソフトバンクは未完の大砲・リチャード選手(2022年シーズンの二軍の本塁打打点王)を含め、両チーム、4回までに計4本のホームランを放つ。

 

両翼が97mと表記されている。狭いので、冗談みたいにしょっちゅうホームランが出る。

これは地方球場(二軍戦)あるあるなのかもしれない。

 

 

私たちは家で作ってきたお弁当を食べながら外野席(シート無しの芝生)の最後方で観ていたが、目の前をグローブをはめた野球少年たちが行ったり来たりしていた。彼らはホームランボールをゲットしようと試みているのだ。

 

「次は左(打者)やでー!」

と少年の一人が声を掛ければ、ドタドタとライトスタンド側へ移動する。

右打者ならばレフトスタンドへ。大移動の様相を呈している。

 

中日新聞 HPより

 

外野席自体も、最前列(フェンス)から最後方(球場外)まで5mくらいしかない。

したがってホームランは結構な確率で場外へと消える。(ちなみに場外へ消えたホームランボールも少年たちは追いかける)

 

これに関してより興味深いのはレフト側だ。

レフトスタンドの最後方からさらに20mほど後方は、もはや海が広がる。伊勢湾だ。

するとレフトへの場外ホームランというのは、伊勢湾へと消えていくことだろう。

 

私は、サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地にて、バリー・ボンズ選手が放つ「スプラッシュホームラン」を思い出していた。

あいにく伊勢湾にはボートに乗ってそれを待つ人たちは見当たらなかったが。

 

正しくは「スプラッシュヒット」と呼ぶらしい Yahooの記事より

 

試合は14―6でソフトバンクが快勝。

4,688人の観客は中日ファンの方が多かったと思うが、それでも地方(四日市)でプロ野球の(二軍であっても)試合が観れるということに、多くの人は満足したことだろう。

 

観客数4,688人というのはすごい人数である。

例えば私は三重ホンダヒートラグビー男子2部)鈴鹿ポイントゲッターズ(サッカー男子JFLヴィアティン三重(バレーボール男子2部)三重バイオレットアイリスハンドボール女子1部)を観戦してきた(Ep.14513011892など参照)が、彼らはこんなにも集客できない。

 

この国で野球の人気というのは絶大だ。

私はスポーツが、野球やサッカーといった競技が一人勝ちするのではなく、やるのも観るのも、より多様化すればいいのに、マイナー競技がマイナーでなくなれば良いのにと願っている一人だ。

他の競技がファン開拓の営業努力と地域性を全面に押し出しても到達できないところにプロ野球の二軍がいる。

そんな状況にもどかしさと若干の失望を感じつつ、四日市でのプロ野球二軍戦観戦を終えたのだった。

 

 

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Kasumigaura Baseball park in Yokkaichi The match of “Second team” of Japan Professional baseball

Ep.151

In 霞ヶ浦第一野球場 Kasumigaura Daiichi Baseball stadium, it was a rare case to hold the game of professional baseball western league(second team's competition), Chunichi Dragons vs Fukuoka Softbank Hawks on April. 

 

The large number of people in Yokkaichi or Mie prefecture are fan for Dragons because of nearby Nagoya.

But it seemed that general baseball fan also visited this stadium.

 

It was so curious regarding to tiny stadium, so that we could see much homerun!

4,688 audience enjoyed their performance and this event.

 

baseball.sports.smt.docomo.ne.jp

www.chunichi.co.jp

www.y-sports.jp

news.yahoo.co.jp