みんなの笑顔が三重(みえ)てくる Jima-t’s diary

「地域性」に光をあて、「違い」を学び、リスペクトし、楽しむというスタンスで四日市や三重の魅力を伝えていきます

ラグビー 今村雄太編

Ep.30

三重県ラグビーと言えば、ホンダヒートだ。

 

鈴鹿市を拠点とするホンダヒートトップリーグの中堅チームで、2019年W杯でもPRグ・ジウォン選手、WTBレメキ・ロマノ・ラヴァ選手(2020年シーズンから宗像サニックスに移籍)が日本代表として活躍した。

 

またPEARLS(パールズ)も女子ラグビーの強豪チームだ。

四日市を拠点として、市内の企業が活動をサポートしている地域に根ざしたクラブチームで、選手たちは近隣の企業に勤めながらプレーをしている。

 

 

しかし私にとって三重県、とりわけ四日市市ラグビーと言えば、

今村雄太選手、と答える。

 

今村選手の出身は四日市農芸高校。

市の南部に位置し、イオンタウン四日市泊店(Ep.8参照)の割と近くだ。農業科や家庭科があるようだ。

 

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四日市農芸高校 HPより

 

最近では津市の寒紅梅酒造と共同開発した日本酒を販売していたため、美味しくいただいた。

 

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寒紅梅X四日市農芸高校

 

いやそんなことよりも、なぜ四日市ラグビーと言えば今村選手なのかというと、私は高校時代にラグビーをしており、その後は観戦する側にまわったが、この15年間以上、熱心に大学・トップリーグ・W杯などを見てきた。

そんな中で、好きな選手の一人である今村雄太選手の出身高校が、四日市だということを覚えていたのだ。

(余談だが、私は大学ラグビーや大学長距離・駅伝のファンで、有力選手の出身高校はだいたい把握している。不思議と容易に覚えられ、なんでそんなに知ってるの? とたまに友人に呆れられる。もしかしたら特技かもしれない)

 

高校からラグビーを始めた今村選手は当時から「怪物」と称され、2003年、早稲田大学へと進学した。時、まさに清宮克幸監督時代。早稲田大学ラグビー部の黄金時代だった。

 

CTBというバックスの要である今村選手の特徴は、驚異のスピードと突進力、キレのあるランでデフェンスをきりきり舞いさせる、アタックに強みを持つ選手だった。

 

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今村雄太選手 早稲田大学ラグビー部 HPより

 

ハイライトはやはり2005年シーズンだろう。

そう、清宮監督の最終シーズンにして佐々木隆道主将。チームスローガン「Ultimate Crush」を掲げたあのチームだ。

 

いつの頃からか、プロ野球Jリーグのチームはシーズン開幕前に「チームスローガン」を掲げることが慣習となった。しかしながらシーズンが開幕してからというもの、ほぼ全てのファンやメディアはそのスローガンを話題に上げることはなく、チーム関係者以外にとっては意味があるのかないのか分からないようなものである。

 

が、この2005年シーズンの早稲田大学ラグビー部においてだけは例外だ。

「Ultimate Crush」

完膚なきまでに相手を叩きのめし、ぶっちぎりの強さで優勝する。

その宣言であり、いかにも清宮監督、自信に満ち溢れた不敵な笑みが思い浮かぶ。

 

その前シーズン、大学日本一になっていた清宮・早稲田は、2005年シーズンも磐石の体制、充実の布陣であった。

 

佐々木主将を始めとした強力なFW陣もさることながら、BK陣には、

 

CTB今村雄太(3年)、SH矢富勇毅(3年)、SO曽我部佳憲(3年)、WTB首藤甲子郎(3年)、FB五郎丸歩(2年)

 

といったスーパースター達が揃い、彼らは「スターバックス」と称された。

卒業後、みなトップリーグの強豪チームに進んだ。

 

 

さて、2005年シーズン、当然のように大学選手権決勝に進んだ彼らは、ライバル・関東学院大学を41―5で一蹴。

今村選手も活躍して余裕で連覇を果たす。試合前からどちらが勝つかはみんな分かっていた。

 

そしてその後が歴史に刻まれることになる。当時の大会フォーマットでトップリーグ上位チームと対戦することになっていた日本選手権2回戦において、トヨタ自動車に28―24で勝利をおさめる。

 

日本代表やオールブラックスも抱える強豪チームを大学生が破る。

しかもまぐれではなく、狙いに行った上での勝利。きちんと勝算を立てた上での成就。

当時のラグビー界に歓喜と戦慄を巻き起こした衝撃の出来事だった。

 

テレビでライヴ観戦していた私は、試合終了間近、トヨタの総攻撃を死ぬ気でディフェンスし、耐え続けた早稲田の選手達の姿と、ノーサイドの笛が鳴った後の佐々木主将の放心した姿に、心が震えたものだった。

 

2005年シーズンの早稲田は、大学ラグビー史上の最強チームの一つとなった。

Ultimate Crushの完遂であった。

 

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早稲田大学vsトヨタ自動車 日本ラグビー協会 HPより

 

これについてもう少し話を続けると、早稲田は翌2006年シーズン、大学選手権決勝で敗れることとなる。

 

引導を渡したのは当時のライバル・関東学院大学だった。

春口廣監督率いる関東は、ツインタワーとも言える190cm超えの両LO、西直紀、北川勇次が空中戦(ラインアウト)を制圧し、加えてCTBにも高山国哲という、格では今村選手にも劣らない強力なランナーがいた。

 

自分たちのストロングポイントであるフィジカルを全面に押し出し、乾坤一擲のプレーをする関東が序盤から圧倒。33―26。点差以上の完勝だった。

 

ノーサイド後、歓喜の関東フィフティーンと、呆然とするスターバックスたち。

今村選手を始め、史上最強チームの主力が多く残ったのに、翌年には完敗する。

それこそがこの時代の大学ラグビーの最高の面白さであり、「関東学院x早稲田」の崇高な二強関係だった。

 

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関東学院大学vs早稲田大学 日本ラグビー協会 HPより

 

ここまできたら五郎丸歩についても書きたい。

 

2005年5月、当時大学生だった私は、トップレベルのラグビーの試合を初めてスタジアムで観戦する機会に恵まれ、友人と秩父宮に来ていた。チケットは新聞購読の契約をしたときに入手したと記憶している(当時は契約時にプロ野球のチケットや洗濯洗剤などをもらえた)。

そしてこの試合のことは、今でも非常によく覚えている。

 

日本代表vsカナダ代表

ジャパンのスタメンの15番は五郎丸。大学2年生になったばかりでまだ19歳。185cmという恵まれたサイズは一昔前のLOのようで、飛距離のあるキックも魅力。

 

これから10年間、ジャパンの最後尾にはこの男が君臨するんだ

とその将来に想いを馳せていた。私は彼と同い年なので、なおのこと応援したし親しみも感じた。

 

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五郎丸歩選手 時事ドットコム HPより

 

試合が始まる。

相手のカナダというのが、実力はだいたい同レベルなのだが、ジャパンの低調なチームパフォーマンスが続く。すると私の右前に座っていたおっちゃん(既に生ビールを飲んで出来上がっている)から五郎丸へヤジが飛んだ。

 

「五郎丸、お前だよ、お前!!」

 

FBの五郎丸の近くへ、相手がキックしたボールが飛んできたのだが、仲間と譲り合うような形となり処理にもたつく。ヒヤリとする場面だった。FBが進んで迅速に対応するべきものだった。

 

おっちゃんのヤジの根拠や着眼は正しかった。

この試合の五郎丸のパフォーマンスは、私から見ても酷いものだった。ディフェンス面で不安を抱え、消極的で、得意のロングレンジからのペナルティキックを任されたのに決められない。

ゲームに入り込めていないし、自信なさげだ。地に足がついていない、というのは本当にこういうことを言うんだな、と思った。

 

 

試合終盤、ジャパンはリードされ、いまだノートライだ。

 

すると私の左に座っていた、私よりは少し世代が上の二人組のにーちゃんたちの会話が聞こえてきた。

 

「あれ、たけおみじゃね?」

「ほんとだ! たけおみだ!」

 

見ると、メインスタンド側から坊主頭でいかつい風貌の選手が、交代でグラウンドに入ってきていた。

説明するまでもなく、神戸製鋼の伝説のナンバーエイト伊藤剛臣である。

 

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伊藤剛臣選手 スポーツナビHPより

 

これらのエピソードからも改めて思うのは、この時代のジャパンの試合をスタジアムに観に行っていた人たちというのは、本当に熱心なラグビーファンだったんだなということだ。

若手の五郎丸を叱咤し、ベテラン伊藤の登場に興奮し。

 

この時のおっちゃんやにーちゃんたちは現在の日本ラグビー界に何を想うだろう。

2015年と2019年のW杯の大成功で、現実にティア1入りが見えてきた今のジャパンについて。

本当に隔世の感がある。

 

 

さて、試合の方はいまだジャパンのノートライが続いていた。

 

ヤジのおっちゃんは、

「おーい、意地見せてくれよ! 意地ぃぃぃ!!」

と言っている。

 

おっちゃんのヤジに応えたわけではないと思うが、試合終了間際、ジャパンは本当に意地を見せる。

相手ゴールに迫ったバックスラインでのパス回しから、この日CTBで出場していた大畑大介にボールが渡る。この時点で2対2の状況。

 

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大畑大介選手 朝日ドットコムHPより

 

ここで大畑は一瞬の爆発的な加速力でもって前方に突進し、トイメンのタックラーをかわすべく斜めに進路変更してラインブレイクしかかる。これに外のディフェンスがヘルプに来る。つまりは一人で1対2の状況を創り出した後、タックルを見舞われる直前にラストパスを放り、WTBカトニ・オツコロへ渡る。

カトニの前方には誰もおらず、楽々とトライを、この日チームで最初で最後のトライを奪った。

 

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カトニ・オツコロ選手 Rugby Republic2019 HPより

 

私はこのプレーを見て衝撃を感じたとともに、ある疑問が解決した。

 

大畑大介は「脚が速い」とあらゆるラグビー関係者から称されていることをそれまでに知っていた。

しかし小野澤宏時栗原徹も脚は速い。というか、ラグビーでWTBのポジションの人たちは皆、例外なく脚が速い。

それなのにどうして大畑だけ特別に形容されるのか分からなかった。

 

が、このワンプレーを観て理解した。大畑のそれは、

「トップスピードに到達するまでの時間が短い」

というものだったのだ。

 

これはサッカー元ブラジル代表の怪物FWロナウドや、元浦和レッズのFWエメルソンの様に、「相手を一瞬にして置き去りにするスピード」と呼ばれるものと同義だった。

 

大畑はとにかくこの能力が秀でていたのだ。

 

ジャパンは試合には敗れたが、私にとっては素晴らしい思い出になった。

 

 

話がだいぶ遠いところへ来てしまったが、この回は今村雄太選手についてだった..

今村選手は早稲田を卒業後、神戸製鋼で活躍し、日本代表で39caps、2011年W杯にも出場した。

2019年から宗像サニックスへ移籍し、同世代のほとんどの選手達が引退する中、36歳になった現在も現役を続けている。

 

2021年。日本ラグビートップリーグも新シーズンがいよいよ始まる。

鈴鹿市を本拠とするホンダヒートは開幕戦で、Hondaアクティブランドスタジアムに宗像サニックスブルースを迎える。

そう、今村選手が所属するチームだ。

 

私はこの試合をスタジアム観戦すべく楽しみにしていたのだが、コロナ禍により開幕延期となってしまった...(泣)

いつか今村選手のプレーを目の前で観られる日が来ることを楽しみにしている。

 

 

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Rugby Imamura Yuta

Ep.30

Regarding to Rugby football of Mie, it’s famous for Honda HEAT.

This is a one of the team of Japan Rugby Top League.

Two players were a member of the Japan National team of 2019 World cup.

 

PEALS is a women’s Rugby Football team.

They train in Yokkaichi as a player and also work some companies as a worker.

Lots of companies nearby Yokkaichi are official them sponsors.

 

But for me, 今村雄太 Imamura Yuta is the biggest image of this prefecture.

He is one of my favorite rugby players.

 

I played rugby when I was a high school student.  Still I love this sports.

I have watched a lot of matches of university, Top League and World cup for 20 years.

 

Imamura is from Yokkaichi and started to play rugby in Yokkaichi Nougei high school.

After enrolling in Waseda university in 2003, he became a star player.

 

He had wonderful running speed and powerful attacking skills.

Waseda won the university championship several times when he played.

 

After university, he proceeded with Kobelcosteelers Kobesteel F.C. which is a prestigious team of Japan rugby Top League.

In addition he became a member of Japan national team (39 caps) and played 2011 world cup.

 

He is the best CTB player of Japan rugby history.

 

In 2021 he is still an active player in Munakata Sanix BLUES R.F.C..

I’m looking forward to seeing him in the stadium someday.

 

www.honda-heat.jp

 

mie-pearls.com