Ep.158
コロナ禍で外出できず家にこもっていたとき、暇だったので、面白かった「All Time 小説ランキングTop20」を考えていた。
これまでの人生で読んできた何百以上もの文学作品の中から”The BEST”を選定しようという野心的な試みだ。
第1位は既に決まっていた。
この作品を私はこれまでに何度も読んでいる。
『坊ちゃん』は「古今東西永遠のNo.1小説」だと思う。
正義の心を持った主人公(坊ちゃん)がワルいヤツら(赤シャツたち)を懲らしめる、というストーリー自体が最高じゃないか!
赴任先の人たちの「ぞなもし」に代表される愛媛弁と、べらんめえ調(東京弁)の坊ちゃんの会話は確信犯的であり、「方言」というツールを用いることで「地方と東京」という普遍のテーマを表出させる。
『坊ちゃん』を例えば電車の中で読むのは危険だ。
あまりにも可笑しくって、5行読むごとに笑ってしまうから、その様を周囲の乗客に気付かれでもしたら、変態だと思われてしまうだろう。
こんな作品、他にあり得ない。
それでは第2位はどうか?
私は悩んだ挙句、『博士の愛した数式』(小川洋子,2003年)とした。
記憶が80分間しか持たない数学者の「博士」と、その家に家政婦としてやってきたシングルマザーの女性とその息子との交流を描いた作品だ。
博士の子どもへの思いやり、野球への愛情が描かれるが、作品に通底しているのは「数字や数式の持つ美しさ、神秘さ」である。
もちろん、凡人である私たちが「オイラーの公式」にふれたところで感動も何も感じない。
しかし著者の小川洋子さんにかかると、
「 果ての果てまで循環する数と、決して正体を見せない虚ろな数が、簡潔な軌跡を描き、一点に着地する。どこにも円は登場しないのに、予期せぬ宙からπがeの元に舞い下り、恥ずかしがり屋のiと握手をする。彼らは身を寄せ合い、じっと息をひそめているのだが、一人の人間が1つだけ足算をした途端、何の前触れもなく世界が転換する。全てが0に抱き留められる 」
「 オイラーの公式は暗闇に光る一筋の流星だった。暗黒の洞窟に刻まれた詩の一行だった 」
(『博士の愛した数式』より)
となる。
あらためて、一流の純文学作家が持つ感性や文章表現にはため息が出る。
当該作品では「数学者」に光があてられたが、現実の日本で、広く知られた数学者というとどうだろう?
NHK-Eテレで数学の番組を持っていた秋山仁先生や藤原正彦氏(この人の場合は既に政治評論家としての方が有名か)、望月新一氏(ABC予想を証明したのではと言われている人)が思い浮かんだ。
だがもっと時代をさかのぼり、例えば江戸時代あたりだとどうか?
すると一人の著名な人物が浮かび上がる。
関孝和(せきたかかず)(1642-1708)である。
だがこの時代に行なわれていたのは、正確には「数学」や「算数」という呼称のものではなかった。
「和算(わさん)」である。
中国の伝統数学の系譜を引く日本の算術体系(Wikipediaより)とある。
そしてこの関孝和と和算の時代において、とても「日本的」なある行為があった。
それは額や絵馬に和算の問題や解法を記し、神社や仏閣に奉納するというもので、「算額(さんがく)」と呼ばれる。
和算の難解な問題が解けたことを神に感謝したのである。
この算額が奉納され、現物が公開されている神社が四日市の川島にある。
川島神明(かわしましんめい)神社である。
武州忍藩(現在の埼玉県行田市)の勘定方で、和算に明るかった石垣宇左衛門という人物が四日市に駐在していた際、弟子(詳細は不明?)として柳川安左衛門という地元の人物と交流があったそう。そしてこの柳川が、1844年に奉納したのが神明神社にある算額の一つとされる。
ここで<問題1>。
「四日市大学関孝和数学研究所」副所長の小川束先生によると、三平方の定理を複数回使って解く問題で、現代の大学生でも難問だという。(CTYの番組「まほろば~歴史の扉」より)
そう、ちなみに地元の四日市大学には関孝和の研究所があるのだ。
なお関孝和自身は四日市とはゆかりはない(したがってなぜ四日市大学にあるのかはいまいち不明だ…)。
<問題2>
<問題3>
川島神社の算額に示された問題やその証明法が、いわゆる西洋数学(現代の国際的な学問としての数学)においても意味を持つか(要するに新規か、既知か)、については分からない。
しかし世界の主流とは異なる「土着的な数学(=和算)」が存在するという事実が、この学問を巡る人類の豊かな歴史を物語っているように思える。
私たちは太古の昔から、数字や図形に潜む法則や神秘について、解き明かそうと試みてきたのだ。
柳川安左衛門という地元・四日市の人物にも思いを馳せてみる。
時代は違えど、有名無名を問わず、数学の難問に直面し、悩み、それが解けたときの悦び、というのは皆共通なのかもしれない。
三重県内には他に、椿大神社(Ep.16参照)など他の7つの神社でも算額があるとのこと。
全国的には約820の算額が現存しているそうだ。
もしあなたが神社で数式や図形が記された額縁を見つけたら、それはおそらく「算額」である。
その神社や算額の歴史を調べてみたり、算額を奉納した人物に想いを巡らせるのもおもしろいかもしれない。
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Sangaku
Ep.158
算額 Sangaku is a wooden frame which is depicted mathematical problem, figure and /or solution.
It has been one of rituals which meant someone’s gratitude for deity about solving difficult math problems since 17th century, Edo period.
神明神社 Shinmei Shrine in Kawashima, Yokkaichi owned several Sangakus because of their historical background.
It’s interesting to imagine somenone’s of old time effort or joy for math.
yokkaiti-sshinmeijinja.jimdofree.com