みんなの笑顔が三重(みえ)てくる Jima-t’s diary

「地域性」に光をあて、「違い」を学び、リスペクトし、楽しむというスタンスで四日市や三重の魅力を伝えていきます

三重県と音楽 平井堅 編

Ep.157

高校生のとき私は片道13kmの距離を毎日自転車で通っていたが当時の母校においてそれは珍しいことではなかった。

 

周囲にも、遠方から自転車で来ていた子たちがたくさんいた。

 

2005年以前、つくばエクスプレス開通以前のつくば市というのはさながら陸の孤島だったし、田舎だから路線バスも1時間に1本あれば良い方。

加えてこの地は近くに海とか山脈とかがある訳ではなく、要するに近隣に地理的要因により人が住めないエリアがある訳ではないから、東西南北あらゆる方向から集結していた。

 

つくば市 茨城県HPより

 

先日帰省した折、15年ぶりくらいに高校の卒業アルバムを見ていたら、巻末に生徒の住所録が載っていたので目を丸くした。

(今じゃGoogle MapとStreet Viewを駆使して建屋の様子まで知れてしまうじゃないか!?)

 

見つけてしまったものはしょうがない。

同級生たちの住所を見渡すと、

下妻、水海道(常総市)、守谷、藤代(取手市)、龍ヶ崎、阿見霞ヶ浦、石岡、小川町(小美玉市)、真壁(桜川市。嘘でしょ!? これが一番驚いた)など、「20km超え」が多数。やはり、あっちこっちからやって来ていた。

 

彼らの通学手段は、自転車、あるいはバス、電車+バス、自転車+電車、自転車+電車+自転車、など、建前上はそうかもしれないが実際には両親のクルマで送迎してもらっていた人たちも多かったと思われる。

通学手段の不便さに屈せず、みんなたくましく通学していたのだ。

 

地域に与えた変化は絶大だった つくばエクスプレスHPより

 

あるときバラエティ番組を観ていた母が

「この人もあなたと同じように高校時代に自転車で1時間かけて通学している」

と言ってきた。

 

「全国には上がいるな」

と思ったらなんてことはない。

その人は私の高校の先輩だったのだ。

 

元フジテレビアナウンサーの相川梨絵さんだ。

相川さんの出身は牛久市とのこと。(現在はバヌアツ在住!)

 

相川元アナウンサー ORICON NEWS より

 

もし自転車だけで通うなら片道14km程度の距離だから私と同レベルであり大変なことだ。

常磐線ひたち野うしくか荒川沖まで出てから自転車だとしても、長距離である。

 

あらためて、当時の母校の自転車による通勤圏の広さには驚嘆せざるをえない。

 

白亜の校舎? Wikipediaより

 

冒頭の私自身の話に戻る。自転車で13kmというと、だいたい48分くらいかかった。

その時間は退屈で仕方ない。だから私は音楽を聴きながら自転車をこいでいた。

2000年代初頭にはスマホなんてない。MD(Mini Disk)プレイヤーの時代である。

 

MDプレイヤー 楽天市場 HPより

 

あぁMD。。なんて懐かしいんだろう。私はMDが好きだった。

あのサイズ感も、セットするときの音も、手触りでさえも。

SONYのMDを愛用していたが、1年に1回は壊れた(それ以外にイヤホンの断線はしょっちゅう)。

 

ところで48分というと、ちょうどアルバム1枚分の時間だ。そしてMD1枚の録音可能時間もおおよそそのくらいだった。MD1枚=アルバム1枚。

 

だから私は毎朝「その日、自転車をこぎながら聴くアルバム1枚」を選んで出発していた。

MDを複数枚持っていくなんてことはしない。その選んだ1枚だけを、通学の共にしていたのだ。(したがって往復で2回聴く)

 

(なお音楽を聴きながら自転車をこぐことは危険なので、高校以降はしていない)

 

MD Rentio PRESS より

 

当時私が聴いていたJ-Popの歌手たちをここに挙げてみる。

 

安室奈美恵浜崎あゆみ宇多田ヒカルMISIA倉木麻衣鈴木あみ松たか子tohko鬼束ちひろZARDCocco、hitomi松浦亜弥BoA中島美嘉大黒摩季松任谷由実

SPEEDDreams Come TrueEvery Little Thing、JUDT AND MARY、My Little Loverポケットビスケッツ、globe、MAXZONEモーニング娘。

SMAPTOKIO、V6、Kinki Kids、嵐、

福山雅治、ゆず久保田利伸尾崎豊サザンオールスターズ小田和正山下達郎

Mr.ChildrenスピッツWANDSB’zT.M.RevolutionGLAYL’Arc〜en〜CielLUNA SEAX JAPANhide with Spread BeaverMALICE MIZERGackt、そして、黒夢。。あと、Sads。。

 

2020年代においてもJ-Popシーンの最前線で活躍しているメンツが多数。ため息が出るほど圧巻の面々である。

そして彼らの多くは「90年代デビュー」組。(上記のアンダーラインの人たち)

 

高校時代の通学時間を共にした彼らの存在、そして彼らが属した90年代の日本の音楽界とは私にとって特別。

90年代のシンガーたち、それは私にとってほとんど「神話の世界の住人たち」である。

 

神話の世界の住人? Lmaga.jp より

 

何より女性ソロシンガーの充実が目を引く。浜崎、宇多田、椎名林檎aikoMISIA倉木麻衣。98年、99年にデビューした彼女たちは、デビュー時のインパクトの絶大さから人気の持続、絶えることのない活動歴に至るまで実に共通しており、25年経過した現在においても頂点に君臨している人たちである。

 

吉田美和(ドリカム)、持田香織ELT)、YUKIジュディマリ)、akkoマイラバ)など、「バンドの紅一点ボーカル」という形態も流行った。

 

SMAPTOKIO、V6、Kinki Kids。ジャニーズにもグループ毎に明確な音楽性と指向性の差別化があり、空前の人気を誇った。そして90年代の最後の年に出てきたのが嵐だった。

 

安室、TRF、globe、鈴木あみ。時代の寵愛を受けた小室哲哉小室ファミリーたち。

 

B’zミスチルスピッツ、福山、ゆず、そしてビジュアル系ロックバンドの面々。

 

音楽性の観点でも、R&Bが登場し、ロックバンドブームが湧き起こり、私は好みではなかったがDragon AshKick the Can Crewなどヒップホップの萌芽があった。(嵐のデビュー曲、A・RA・SHIで櫻井くんが披露しているのはラップだ)

 

90年代の日本の音楽界とは、どんなジャンルの音楽が飛び出してくるか分からない、“びっくり箱”のような楽しさがあった。

本当に楽しく、華やかな時代だった。

 

黒夢 神話の世界の住人? YouTubeより

 

当時のような頻度で聴くことはないけれど、前述の歌手たちの音楽を、私は今でもたまに聴いている。

私の高校時代の通学時間。それは彼らの音楽と共にあった。だから私の中で、彼らはかけがえのない存在だ。

きっと、彼らの音楽を、私は死ぬまで聴き続けるのだと思う。

 

MALICE MIZER。神話の世界の住人? アンサイクロペディアより

 

そんな「神話の世界の住人たち=90年代のJ-Popスター」の中にも、三重県出身者がいる。

平井堅である。

 

90年代にデビューし、30年近くに渡りコンスタントに作品を出し続け、セールスも絶大で、第一線で活躍している「男性ソロシンガー(シンガーソングライター)」としては、福山雅治平井堅しか思い浮かばない。

というか、90年代に限らず、この二人以外思い浮かばない。

 

が、不思議なことに、私は平井堅のアルバムを当時、MDにダビングしなかったし、聴いたことすら一度もなかった。

好みじゃないのか? と自分自身に問うと、そうではない。むしろ好きだ。音楽も、ルックスも、歌手一本でやっているところも。

 

ではなぜ今まで聴いてこなかったのか?

と問われると、

「90年代J-Popスターたちの常軌を逸した層の厚さゆえ平井堅まで手が回らなかった」と言わざるをえない。

 

だから私がこの人の曲を初めてまとめて聴いたのは、三重に来てからなのだった。

 

平井堅 シネマトゥデイ HPより

 

公式HPのプロフィールによると、「三重県名張市出身」とある。

赤目四十八滝Ep.88参照)や日本酒『瀧自慢』Ep.39153参照)名張だが、ここは西に行くとすぐ奈良県。関西圏への通勤エリアだ。

 

したがってあまり三重県出身者という感じもしないのだが、ブレイク前はFM三重の番組でパーソナリティを務めたりしていたようだ。Wikipediaより)

 

そんな平井堅さんの全アルバムの全曲を、ストリーミングであらためて聴いてみた。

ドラマの主題歌、映画の主題歌、CM曲...

 

あれもこれも聴いたことがある。

自転車をこぎながら聴くことはなかったものの、中学・高校のときテレビをつけたら聴こえてきた、“あの時代”を彩った曲たちで溢れていた。

 

 

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Hirai Ken

Ep.157

1990’s is the most impressed era in the Japanese popular music history.

Lots of female singers, Visual Kei rock bands,”Komuro family”(singers produced by Komuro Tetsuya), Johnnys groups and  also hip hop stars were flourished.

Such diverse and unique artists attracted us. It was almost like a treasure box!  What unprecedented era were!

For my generation, 90’s J-Pop stars are irreplaceable existence and almost like “residents in the myth”.

 

平井堅 Hirai Ken who debuted in 1995 from Nabari city, Mie was one of them.

His several iconic songs did smashed hits, therefore he has kept No.1 sales record as male solo singers in Japan.

Now 2020’s too, his skillful songwriting and vocal performance gives new fans.

 

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