みんなの笑顔が三重(みえ)てくる Jima-t’s diary

「地域性」に光をあて、「違い」を学び、リスペクトし、楽しむというスタンスで四日市や三重の魅力を伝えていきます

ラグビー 三重ホンダヒート 2024-25シーズン開幕前 鈴鹿→宇都宮への移転 編

Ep.231

ジャパンラグビーリーグワン2024-25シーズンの開幕が迫っている。

三重県鈴鹿市を拠点とする三重ホンダヒートは、Division1初年だった昨シーズン、なんとか”残留”を果たして2年目を迎える。

 

JR四日市駅に貼ってあったポスター。なんてかっこいいのだろう。再加入したレメキ選手(Ep.154など参照)

 

5月からのオフシーズンも半ばにさしかかった9/19正午、クラブから驚愕のニュースがリリースされた。

ヒートは、2026-27シーズンより本拠地を鈴鹿から栃木県宇都宮市に移すのだという。

 

これはもちろん、単にメインスタジアムが「スポーツの杜 鈴鹿」から宇都宮に移るという話ではない。

練習用グラウンドもトレーニングルームも、選手・コーチ・スタッフの生活拠点も、一切合切が移るということである。

この街からヒートが完全に去ってしまうのだ。

地元ファンにとって、こんなに悲しいことはない。ファンクラブ会員向けメールで知った私も大変驚いた。

 

三重ホンダヒートHPより

 

三重ホンダヒートというクラブは、ホンダ技研工業鈴鹿製作所のラグビーが起源である。

1961年(!?)の創部以来、クラブは変わらずこの地に居を構え続けた。

それが移転するのだ。クラブ史で最大の変曲点であるのは間違いない。

 

「スポーツの杜 鈴鹿」 ジャパンラグビーリーグワンHPより

 

プレスリリースの文章を追ってみたい。

企業のスポーツクラブという枠組みを超え、より事業性や収益・地域社会貢献・企業PRなどが求められる時代となり、今後継続的・発展的にチームが力を発揮するために〜

とある。

つまり、鈴鹿を拠点にする限りは収益向上の余地がないと判断されたのだ。

年々膨張するリーグワンと三重ホンダヒートにとって、鈴鹿三重県では観客動員の少なさが致命的だったのだ。

 

三重ホンダヒートHPより

 

昨シーズン、ヒートのホーム・鈴鹿開催での平均観客数は約3000人であり、リーグワンの中でワーストだったという(ただ正直に言うと3000人も入ったの!?と私は驚いた)。

そんな中で着目すべきは、一試合だけあった東京・秩父宮での主催試合である(3/1の横浜キヤノンイーグルス戦)。

金曜日かつ19時キックオフの同試合は1万3000人(!?)もの観客を集めた。

 

都心か東京近郊に勤務しているホンダの社員なのだろう、多くのファンが歓声をあげていた。劣勢のゲーム展開(21-50で敗戦)においてもヒートのトライを後押しする熱量、一体感は鈴鹿開催以上のものがあり、ハイライト映像を見た私は動揺し、嫉妬した。

 

ヒートの経営者たちは、きっと、ここで手応えを掴んだに違いない。

 

関東(東京近郊)に拠点を移せば、観客動員を劇的に増やすことができる。まず絶対的な人口が違う。

そして関東のチームが多い現状のリーグワンDivision1(12チーム中、8チームが関東)においては、そのアクセスの良さゆえ相手チームのファンも足を運びやすいことだろう。

 

そう考えると、ますます鈴鹿から東京近郊への移転は必然だったように感じてくる。

 

国や社会が叫ぶ東京一極集中への是正はラグビー界では果たされず。

結局、みんなが一箇所に集まっていれば何かと「旨みがある・都合が良い」という理屈である。

これでは何年経っても東京へヒト・モノ・カネが流れる。地方は衰退する。さようなら、日本。

 

と、一地元ファンが批判的に述べただけでは思考が停止するのでもう少し掘り下げて考えてみたい。

 

三重ホンダヒートHPより

 

 

Hondaにとって鈴鹿とは?

ところで私は袋井市に住んでいたこともあってその隣の隣の街である浜松市は縁ある土地だ。

この静岡県西部最大の都市は、日本の現代産業界の巨人たちを多く輩出してきた。

 

山葉寅楠(1851年生。ヤマハ創業者)

豊田佐吉(1867年生。トヨタグループ創始者

河合小市1886年生。河合楽器創業者)

鈴木道雄(1887年生。スズキ自動車創業者)

高柳健次郎(1899年生。「日本のテレビの父」と呼ばれる)

川上源一(1912年生。ヤマハ発動機創業者)

堀内平八郎(1915年生。浜松ホトニクス創業者)

 

「スズキ歴史館」(浜松市中央区)での展示より

 

錚々たるこの「遠州偉人クラブ」の中に、本田宗一郎1906年生)も名を連ねる。

今では世界で知らぬ者はいないHonda(本田技研工業)の創業者は、遠州・浜松で生まれ、育まれたのである。

 

本田宗一郎 浜松・浜名湖だいすきネットより

 

先日縁あって「本田宗一郎ものづくり伝承館」(浜松市天竜区)を訪れた。

天竜区とは浜松市の最北部である。さらに北上するともちろん長野県に至るが、両者の間には深い森と山々が横たわり容易にアクセスできないことはこの辺の地理に明るくない人でも分かると思う。

同資料館近くの国道でクルマを走らせていた私は、左前方のコンビニを視界で確認した次の瞬間、突如目の前をニホンザルの一群が横切ったのでブレーキを踏んだ。サルたちは電信柱を登って森に消えて行った。(それにしてもサルは本当に登るのが得意だな..と思った)

浜松市天竜区とは、そのような場所である。

 

そして本田宗一郎の出身地区のすぐ近くにできた同資料館は、彼の業績とHondaの歴史が語られていた。

 

本田宗一郎ものづくり伝承館

 

Hondaにとっての「創業の地・浜松」。同市には現在でも「トランスミッション製造部」という工場があるようだ。

(余談だが、JFLヴィアティン三重Ep.46など参照)や鈴鹿ポイントゲッターズ(現・アトレチコ鈴鹿クラブ。Ep.40など参照)と競い合う「Honda FC」は浜松市浜名区の都田(みやこだ)が本拠地である。”Jリーグ入りへの登竜門”と呼ばれるJFL界の盟主は今でもHondaの名を背負って創業の地から活躍している)

 

ただ国内でさらに規模が大きく「Hondaの企業城下町」と呼べるような地は「埼玉・鈴鹿・熊本」であることは自動車業界の人間でなくても知りうるところ。

 

この中で鈴鹿製作所は1960年開業。

なぜ、本田宗一郎は創業の浜松から西に約150km離れた三重県北部の町、鈴鹿市を選んだのか?

 

それには伝説があるようだ。

前年の1959年、本田宗一郎は各候補地を視察していた。その誘致競争で鈴鹿市はライバルのように宴会をせず、暑い現地視察の後、冷たいおしぼりと茶だけを出すシンプルな接待をした。その簡潔さに本田氏が感心し、進出を決めたらしい。(2018/06/14の朝日新聞の記事より)

 

と言われても、これだけでは全くピンとこないのが正直なところ。

だがとにかく、本田宗一郎が感心し、感銘を受け、彼に選ばれた特別な地が鈴鹿市なのである。

 

鈴鹿製作所は埼玉工場よりは後発であるものの、同社の、というか世界の二輪の歴史を変えた「スーパーカブ」をかつて製造し、現在でもフィットやN-BOXを製造する主力中の主力工場である。

そして同社がモータースポーツに傾注する中で鈴鹿サーキットEp.185など参照)も創り、これが現在でも鈴鹿市知名度を全国的なものにしている。

自動車産業における裾野の広さは大きなもので、四輪車の組立工場があるということは地理的に周辺には多くの(下請け)工場があることを意味する。レース関連の企業も存在している。

他県から四日市に越してきた私にとってもそれは実感できるところで「鈴鹿はHondaの街」「モータースポーツの街 鈴鹿」と呼ぶのは正真正銘のものである。

 

このようにHondaにとって鈴鹿市は特別な地。ここを、三重ホンダヒートは離れようというのだ。

 

ではその移転先の宇都宮市は、と考えたとき、まったくピンとこなかった。

なぜ、埼玉ではないのか?

 

 

移転先は宇都宮

先述の通り埼玉はHondaの主力工場がある地だが調べてみると現在では寄居町という、秩父長瀞に近い随分北部の町にあるようだ。

ここでは都心からのアクセスの悪さとハコ(スタジアム)のサイズという不都合がありそう。

加えて日本ラグビー界で「埼玉」といえば、強豪の「埼玉パナソニックワイルドナイツ」(熊谷市)の存在が大きすぎ、この点でも本拠地にするのは不都合に思える。

 

関東(都心近く)ありきでかつ「埼玉県以外」ということで、栃木県の県庁所在地に着目したのだろうか?

調べてみると同地にはHondaの研究開発の拠点が置かれているようだ。縁(ゆかり)がないわけではないもよう。

先述のプレスリリースによると同市の「栃木県グリーンスタジアム」という1万8000人収容の施設をメインにするという。

ヒート経営陣は、この地にかけたのだ。

 

栃木県グリーンスタジアム」 栃木県スポーツコミッションHPより

 

 

移転の原因はどこに?

先述の通り、地元ファンである私にとってヒートが鈴鹿を去るのは悲しいことだが、こうなってしまった遠因は”私たち”にもあると言わざるをえない。

 

私は知っている。昨シーズン、いやその前からも、ヒートが鈴鹿市民Dayや四日市市民Dayなるものを開催して当該市在住者を無料でスタジアムに招待していたことを。「三重ホンダヒート」の地元における知名度向上のために、経営陣も選手たちも最大級に努めていたことを。

それでも観客動員は伸びず、名も売れない。

私のように足繁く鈴鹿の杜に通う地元民は稀で、多くの人は存在すらろくに知らないこと。

 

そう、ヒートが鈴鹿を去ってしまうのは、私たち(地元民)の関心の低さと収益への非貢献にあるのだ。

 

三重ホンダヒートHPより

 

三重県民がファンとなる地元スポーツチームとは?

せっかくなのでもう少し考察を深めてみたい。

これはラグビーというマイナー競技が、中央(東京やその近郊)と比して地方(三重県)では人気が低いゆえ、人口の絶対数で不利であるゆえと片付けて良いのか?

リーグワンより先んじること数年前にスタートした男子バスケットボールのBリーグを見る限りそうは見えない。(向こうでは栃木や沖縄や広島のチームが優勝して当該地元も盛り上がっている)

 

結論から言うと、三重県では地元のスポーツチームを応援するに乏しい地域柄だったりしないか? という私見である。

 

中日ドラゴンズ HPより

名古屋グランパス HPより

 

私は職場の地元出身者とたまにスポーツの話をするが、中日ドラゴンズ名古屋グランパスの大ファンでたまにスタジアム観戦に訪れるという人間に出会ったことがない。大谷翔平や、サッカーW杯の日本代表戦はよく話題にのぼる一方で。

隣県に大都市・名古屋があるせいで三重県内にはメジャー競技の強豪が育たず。ましてや先述のV三重や鈴鹿PGのようなカテゴリー下位の弱小チームを熱烈に応援するはずもなく。

 

三重県とは、げに地元スポーツチームを応援する柄にはない土地なのである。

 

ヒートの経営陣はここまで把握して移転という手を打っただろうか?

彼らの決断は、きっと正しい。

真に反省すべきは三重県民であり、我らの地元クラブチームへの愛情・熱情の低さにあるのだと思う。

 

三重ホンダヒートHPより

 

その他、シーズンオフの話題としては闘将FBレメキ選手が帰還したり私のお気に入りだったNo.8カイポウリ選手が退団したりキャプテンがFL古田凌選手からPR藤井拓海選手に交代したり若手選手が酒気帯び運転で検挙されたりしたが、いずれも移転の話題に比べれば些細なものだった。

 

移転は悲しいことだが2年後のこと。

まずは目の前にあるゲームとシーズンに集中。

初戦は12/21(土)@鈴鹿リコーブラックラムズ東京戦(Ep.195参照)である。

ヒートの、開幕戦勝利を期待したい。

 

 

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Rugby Mie Honda Heat Before the start of 2024-25 season, Home-area Transfer from Suzuka to Utsunomiya

Ep.231

Japan Rugby League ONE Division1 will open 2024-25 season in this December. 

Before the start, we had the biggest and marvelous news for this team.  According to this, they are going to transfer their home-area from Suzuka to Utsunomiya city, Tochigi prefecture(Tokyo suburbs) in 26-27 season, though they have been since 1961?!

This is very sad news for HEAT fun, but it might be as a matter of course, because of small audience or disinterested citizens of this region, Mie..

 

https://www.honda-heat.jp/news/1859/

https://global.honda/jp/suzuka/

http://www.asahi.com/area/aichi/articles/MTW20180626241640003.html