みんなの笑顔が三重(みえ)てくる Jima-t’s diary

「地域性」に光をあて、「違い」を学び、リスペクトし、楽しむというスタンスで四日市や三重の魅力を伝えていきます

四日市あすなろう鉄道 ヤマトタケルノミコト伝説 in 内部

Ep.163

四日市周辺には多くのローカル鉄道がある。

四日市あすなろう鉄道」もその一つだ。

 

冬季は天井にイルミネーション

「シースルー列車」

 

全9駅、トータルで7kmしかないことでもこのローカル度が伝わると思うが、一番の特徴は線路幅が狭い「ナローゲージ」であること。

 

「あすなろう」という命名は、“明日に向かって”という意味と“ナロー narrow”にかけたものだ。

 

ただ歴史は古い。

前身の三重軌道が最初の路線を開業させたのは1912年である。

 

 

始点となる「あすなろう四日市」駅は実質的に近鉄四日市駅のこと。

日永(ひなが)駅で内部(うつべ)線と八王子線に分かれる。

 

私は自転車での通勤途上、あすなろう鉄道の踏切を渡る。

東京から四日市に越して来てすぐのとき、この目の前を通過する単線で線路幅の狭い3両編成の小さな小さなローカル線を見て、

本当にまったく異なる地に来たんだな

と感じた。

 

レア度は高い「なろうブルー」の車両

 

車窓から外をのぞくと踏切で待っている何台もの自動車や歩行者が見えた。

わすが3両編成でトータル20人も乗客はいないのだがそれでも鉄道だから優先される。

そんな「優越感」に浸れるのもローカル線ならではだ。

 

 

終点の内部駅に到着。

内部は東京五輪ラソン代表の中村匠吾選手Ep.42参照)の出身だ。

 

 

内部駅を出て西に向かい旧東海道に入ると見えてくるのが「杖衝坂(つえつきざか)」である。今回の目的地だ。

だがその前に「うつべ町かど博物館」に行きこの場所について学習しよう。

 

 

館内に入るとご高齢の女性の解説員の方が迎えてくれた。とても品があり物腰の柔らかい方だ。

そして杖衝坂とヤマトタケルノミコトの伝説、そして「三重」の歴史について教えていただいた。

 

 

「三重 みえ」の地名の理由には諸説あるのだが、その一つの舞台が杖衝坂にある。

 

昔、ヤマトタケルノミコトは東国を平定して大和国(現在の奈良県)への帰路につく途上、伊吹山滋賀県)で神の祟りを受けて病になった。そんな状態で伊勢国にさしかかり、この急坂に出くわすと、剣を杖代わりにしてようやく登れたとのこと。

そこで彼は言ったそうだ。

 

吾が足三重の勾(まがり)なして、いたく疲れたり

 

これが「三重 みえ」の地名の由来の一つとされているのだ。

 

 

端的に言ってしまうと

「疲れて脚がぱんぱんに腫れてしまい三重(さんじゅう)になってしまったよ」

という解釈かと思いきや、これはどうも一段飛躍があるようだ。

 

というのも「勾(まがり)」というのが「勾餅」を示しているとのことだった。

ヤマトタケルノミコトは「疲れて腫れてしまった自分の足が『三重の勾餅』みたいだ」と言っているのだ。

 

では「勾餅」とは何だろうか?

 

これが詳しくは分かってないようなのだが、普通に考えて「曲がっている餅」なのだろう。

町かど博物館には「三重の勾餅」をイメージしたレプリカがあった。

 

 

ヤマトタケルノミコトが言った言葉が地名になってしまった三重。

実は私の茨城の地元でも似たような言い伝えがある。

つくば市の「水守(みもり)」という所なのだが、その昔ヤマトタケルノミコトがやってきた際、この集落の水を飲んで美味しかったことから

「これからもこの水を守っていきなさい」

と村人に述べたことで「水守」となったのだという。

 

小学生のときこの話を最初に聞いた私は

ほんまかいな?

と訝しんだものだった。

 

すると高校一年生の古文の授業のとき、先生が

つくば市にもヤマトタケルノミコトが来たことがある。水守という所がそうだ」

と述べていたので驚いた。

 

その古文の先生は定年間近の方で、趣味が「古文書の読解」という方だったから、言い伝えは本当なんだと納得した。

 

「私の茨城の地元の地名もヤマトタケルノミコト伝説にあやかっています」

と解説員の方に言ったら感心したご様子で、

ヤマトタケルノミコトさんが東征されて茨城に行かれ、その帰りにこの三重に来られたんですねぇ」

とやはり物腰は柔らかい。

 

そう考えると感慨深い。

この国を最初に束ねたとされる人物が、つくばに行って「水が美味いから守っていきなさい」と言った帰りにこの地までやってきて、「疲れて足が三重の勾餅みたいになっちゃったよ」と言ってはそれがこの地の由来になる。

 

ただ「三重」の由来になった、とする場所は他にもあるのかもしれない。私が休日によく買い物に行く尾平(おびら)のイオン(通称「おびじゃ」Ep.8参照)の近くには四日市の市営三重団地や三重西小学校があり、ここの住所は「三重県四日市市三重」である。

 

これについて伺うと、

「何しろ大昔の出来事ですから、いろいろな場所でいろいろな言い伝えがあるのですね」

とのことだった。

この四日市市『三重地区』こそが「真の三重」とする説もあるが、これはまた別の機会に述べたい。

さらにいうと三重県との県境に近い岐阜県海津市にも「杖つき坂」があり、こちらが「真の杖衝坂」とする説もあるようだ。

 

「うつべ町かど博物館」にはあすなろう鉄道に関する展示もある

ジオラマ

ジオラマでもあすなろう鉄道はナローゲージ

 

なお杖衝坂には松尾芭蕉に関するエピソードもある。伊賀出身の芭蕉Ep.90参照)が江戸から故郷に戻る際、このあまりの急坂で落馬してしまい、

「荷鞍うちかへて馬より落ちぬ」(荷物や鞍とともに馬から落ちてしまった)

とのこと。そこで苦笑して詠んだ句が以下のものだ。

歩行(かち)ならば杖衝坂を落馬かな

 

また杖衝坂の途中には、弘法大師が水に困っている村人に指示し、掘ってみると湧き出た「弘法の井戸」もある。

 

ヤマトタケルノミコト弘法大師松尾芭蕉

すごいところだ。

 

町かど博物館を出ていよいよ杖衝坂に向かう。

 

「弘法の井戸」

 

今、私は坂を登る。

ヤマトタケルノミコトが杖をつきながら「疲れて足が三重の勾餅みたいになっちゃったよ」と言い、あるいは松尾芭蕉が斜度が急すぎて「荷鞍うちかへて馬より落ちぬ」こととなってしまった坂を。

しかも、ベビーカーを押しながら。登る。

 

芭蕉の句碑

 

登りきる。

急坂であることは確かだ。

が、大したことないじゃないか斜度も距離も。

これがヤマトタケルノミコト芭蕉(の馬)を苦しめた坂か。

特にヤマトタケルノミコト。東征して「強敵」を倒してきた君がなぜこの程度の坂に苦戦してんの、と言いたいところだが伊吹山の神からのダメージは思いのほか大きかったというわけか。

 

 

登りきった場所にある「血塚社」。

ヤマトタケルノミコトの足の出血を封じたとされる祠がある。

 

 

東海道にひっそりと佇む(四日市市民にも残念ながらほぼ知られていない)この「杖衝坂」は、日本史上の重要人物たちのエピソードで溢れていた。

 

 

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Yokkaichi Asunarou Railway “The myth of Yamatotakerunomikoto” in Utsube

Ep.163

There many local railways around Yokkaichi!

"Yokkaichi Asunarou Railway" is one of them and so tiny train.

Total length is only 7km, 9 stations with too narrow 762mm gage.

These specialties attract train enthusiasts.

 

The terminal station Utsube has the myth of Yamatotakerunomikoto, who is legend person in Japanese history.

 

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