みんなの笑顔が三重(みえ)てくる Jima-t’s diary

「地域性」に光をあて、「違い」を学び、リスペクトし、楽しむというスタンスで四日市や三重の魅力を伝えていきます

全日本大学駅伝

Ep.12

谷口浩美は本当に首を傾けて走っていた!

 

あれは私が小学校低学年のときだったから、1992〜1995年頃のことだったと思う。

私は当時父が勤務していた会社の目の前の沿道で、両親とともに中国駅伝を観戦していた。

 

中国駅伝とは、中華人民共和国で行われる駅伝のことではない。

日本の、中国地方でかつて行われていた駅伝のことだ。

(現在では廃止され、毎年1月下旬に広島で行われる都道府県対抗男子駅伝に引き継がれた)

 

冒頭の谷口浩美選手は、日本男子マラソン界の名ランナーの一人で、当時旭化成に所属していた。1992年のバルセロナ五輪で転倒してしまったことでも有名である。

 

谷口選手を既にテレビで観て知っていた私は、谷口選手の走りの癖、つまりやや首を傾けて走ることも知っていた。

 

その谷口選手が、私の目の前で、テレビで観るままに本当に首を傾けて走っていたことに驚いたのだ。

 

父が野太い声で

「頑張れ!!」

と言っていた。

 

幼い私は、選手に声をかけるのはなんだか恥ずかしいな、と思った。

あっという間に通り過ぎていった谷口選手をただ目で追っただけだった。

 

 

あれから25年以上もの月日が流れた。

私はその後も、陸上長距離(トラック・駅伝・マラソン)のファンであり続けたものの、沿道で生観戦する機会には恵まれなかった。

 

2019年11月、四日市に来てから迎えた最初の日曜日は、「全日本大学駅伝」が行われた日だった。

 

ご存知の方も多いと思うが、「全日本大学駅伝」とは、

出雲駅伝」「箱根駅伝」と並ぶ学生3大駅伝の一つで、名古屋の熱田神宮から伊勢神宮までの8区間106.8kmを走るレースだ。

 

コースはひたすら伊勢湾岸沿いを走る。つまり三重県民にはおなじみの国道23号線を南下するというもので、まさに三重県南北縦断レースと言っても良いだろう。

そして四日市市内は、おもに4区のランナーが走ることとなる。

 

私は自分の住む街に駅伝がやってくることに興奮し、沿道で観戦できる貴重な機会を逃すまいと、あまり気乗りしていない妻を連れて行くこととした。

 

箱根駅伝のあの沿道を埋め尽くす大群衆を想像すると、早めに行って場所を確保するのが良い。

私たちは近鉄の塩浜駅で下車してから歩いて国道23号線まで向かうことにした。

 

塩浜駅にて、下車する人たちが多数。

小さなお子さんを連れた家族連れと1人で来ている男性が多い。

 

「さすが全日本!たくさん観に来るんだな〜」と思った。

 

ところが、私たちを除く全ての客たちは、ある敷地内に吸い込まれていく。23号線に向かうことなく。

 

「あれ?どういうことだ??」

と思ったら、その敷地は電車の車庫だった。

 

なんと「きんてつ鉄道まつりin塩浜」なるイベントが開催されているではないか!?

彼らはこちらが目当てだったのだ。塩浜駅で下車した客たちは、てっちゃんたちだったのだ。

 

 

23号線に寂しくたどり着いた私たちは、トレーナーを着て大会の旗を持った大学生らしきにいちゃんを除けば、これから1時間以内にランナーが通過する状況にはとても見えない。

 

そのにいちゃんに話を聞くと、

「○時○分くらいに通過する予定ですよ」

と教えてくれる。

 

確かにここはコースなんだ、と安堵するものの、通過予想時刻の30分前、20分前、10分前になっても状況は大きく変わらない。

 

そもそも両側4車線、片側2車線の道路で、ランナーが走る方向の右側車線は普通に車両が通行している。通行止めが行われていないのだ。

 

通行止めはしないし観客は少ないし変だな〜、と思っていたら、

「あ、来た!」

と妻が言う。

 

見ると、左側車線を先導の白バイとトップの東洋大学の選手が走ってこちらに近付いてくるではないか!!

(知らぬ間に左側車線だけ通行止めになっていた)

 

突然現れたランナーに

「がんばれー!」

と声援を送る私。その後も後続のランナーが通過するたびに、拍手と大学名を呼んで声援を送り続ける。

 

やっぱり生で観戦するのはいい。

あっという間に私の目の前を駆け抜けて行くランナーたち。

彼らの「速さ」を体感できる。

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國學院大学のランナーが来たところ

実は以前私が勤務していた会社は、社会人駅伝大会で何度も優勝を誇る強豪チームだ。

職場にも同期にも、本気で優勝を、世界を目指す現役ランナーたちがおり、彼らと話す機会もあった。

 

彼ら言わく、沿道の人も、声も、見えているし聞こえている、とのことだ。

 

だから私たちは熱い声援を送るべきだ。

彼らにエネルギーを、勇気を与えるために。

 

当時は谷口選手に送れなかった声援を大学生ランナーたちに送る。

 

 

とうとう最後のランナーが来たようだ。

 

というのも、彼の後ろにつけている大会運営車から、録音された音声が繰り返し流れていたのだ。

「ただ今、最後のランナーが通過しております。沿道の皆様、暖かい声援、誠にありがとうございました。」

 

 

耳障りな音声をエンドレスで受けながらも歯を食いしばって前に進む彼に、私はやはり熱い声援を送ったのだった。

 

 

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All Japan university ekiden championship

Ep.12

駅伝 Ekiden which is originated in Japan is long distance running relay race.

We Japanese love it, of course including me.

 

All Japan university ekiden championship is held in Aichi and Mie prefecture on the first Sunday of November.

Starting point is 熱田神宮 Atsuta jingu, finishing point is 伊勢神宮 Ise jingu, both area are historical shinto shrine based on Japan’s original religion.

 

4th section is in Yokkaichi and this distance is 11.8km.

I was so excited due to Ekiden was held in my city!

I have never gone to see Ekiden since I was 6-9 years old.

I had no reason not to go to see it.

 

On the race day, I stood alongside running course.

I welcomed and cheered all runners.

 

They passed in front of me one by one.

I enjoyed to feel their speed, so fast!

It was first wonderful memory in this city.

 

竜ヶ岳(鈴鹿セブンマウンテン 2/7)

Ep.11

秋の訪れを感じさせる9月下旬。

登山をするにも最適なシーズンだ。

 

今回は鈴鹿セブンマウンテンの一つ、竜ヶ岳(りゅうがだけ)に挑戦!

 

前回の御在所岳では思ったよりもハードでくたびれてしまったため、今回はあまりキツくなさそうな山、という観点で竜ヶ岳(1,099m)を選択したのだった。

 

 

登山の開始地点はいなべ市の宇賀渓(うがけい)キャンプ場から。

駐車場の自動車のナンバーを見る限り、関西方面から遊びに来ている方たちが多いことが伺える。

南北に長い三重県の西側半分は、鈴鹿山脈をはじめとした山地が主である。

したがっていなべ市菰野町あたりにもキャンプ地が多いのだ。

 

川遊びをしている家族連れたちを横にしながら登山道へ。

 

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金山登山道入り口に到着後、さっそく登山開始!

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歩き始めて約 1時間、全く人とすれ違わない。。

このハイシーズンにあっても登山客は少ないようだ。

ただ、それがゆえに自分たちのペースで歩くことができる。

 

景色はなかなか開けない。

登山道が背の高い木々で覆われているため、山下の眺望や、山頂も見えない状況が続く。

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さらに歩き続けることで、ようやく眺望が広がる場所まで出た。

また山頂も見えてきた。

 

そして山頂まで残り400mを切ったあたり、最後の最後でようやくアルペン感が出てきた!

 

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滑らかな山肌。山頂へと続く一本道。

 

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ブロッコリーのような木々

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ゴール!

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山頂からの景色

というわけで登頂完了!

山頂へ向かう一本道が始まってからは、景色の美しさ、気持ちよさ、最高でした。

 

心地良い風を肌に感じながら、鈴鹿セブンマウンテン2つ目の登頂に満足したのでした。

 

達成度;

鈴鹿セブンマウンテン  2/7

  

 

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竜ヶ岳 Ryuga-dake

Ep.11

竜ヶ岳 Ryuga-dake is one of the Suzuka seven mountains.  The height is 1,099m.

Early autumn, I tried this.

 

On the way to the top, I enjoyed beautiful nature.

Of course the sight from mountaintop was so nice.

 

I celebrated to achieve 2/7 of the Suzuka seven mountains.

  

Achievement ;

Suzuka 7 mountains 2/7

 

真珠

Ep.10

リアス式海岸が広がる志摩市南部の英虞湾(あごわん)。

その美しさを知覚できる場所の一つは、伊勢志摩スカイラインにある「朝熊山(あさまやま)展望台」だ。

 

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朝熊山展望台

 

或いは2018年にできた「横山展望台」では、より近距離から、入り組んだ地形、蛇行する海とムクムクした樹海を見ることができる。

 

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横山展望台

 

しかしながら、私たちが英虞湾と聞いてイメージする情景は、上空から撮影した下記のようなものではないだろうか?

 

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英虞湾の景色 (伊勢志摩観光ナビ HPより)

ヘリコプターから空撮したと思われる写真は、これぞまさに、といったところで、この景色には敵わないな、と思わせる。

 

そしてこの写真を見ているとおのずと目に入るものがある。

「白い長方形の浮いているモノ」だ。何か養殖しているのだろうか?

 

 

これは真珠の養殖のための筏(いかだ)である。

 

志摩市と隣の鳥羽市では真珠の養殖が盛んに行われている。

そして説明するまでもなく、真珠の養殖に世界で初めて成功した人物が、御木本幸吉(みきもとこうきち)氏だ。

 

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御木本幸吉 (ミキモト真珠島 HPより)

江戸時代の末期、鳥羽市うどん屋の息子に生まれた幸吉氏は、初めは地元の豊かな海産物に、後に真珠に着目し、強い情熱を持って真珠の養殖に取り組み、それを達成した。

その後、ジュエリーとしての真珠を製造・販売する現・株式会社ミキモトを設立し、販路を世界に広げた。

 

幸吉氏の人生については、鳥羽市の「ミキモト真珠島」にある見応えのあるミュージアムで学ぶことができる。

 

私の父が、過去に思いを走らせ、

「懐かしいなあ。俺は小学生の頃、国語の教科書に載っていた御木本幸吉の物語を授業で音読したら、先生から『とても上手に読めましたね』って褒められたことあるんだ」

 

と言っていた。

なんでそんなこと覚えているんだよ、と思ったが、褒められたので覚えているのだろう。

 

御木本幸吉。近代日本の産業界を代表する偉人である。

 

 

私自身はこの地で、数珠型の真珠のネックレスを、人生で初めて真剣に観察する機会があった。異なる価格帯のものを、複数の店舗で、じっくり観察することによって気付いたことがある。

 

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イメージ図 (ミキモト HPより)

一見すると全て同一に見える一粒一粒の真珠も、よくよく観察すると、

サイズ・形状・色味・光沢ムラ、が異なっているのだ!

 

少し楕円球になっているものもあれば、光沢に差異があるものもある。

 

だが考えてみればこれは自然なことだ。

養殖と言っても、最初に人の手で閉じたアコヤガイの中に「核」となるものを入れた後は、真珠自体の製作・成長はアコヤガイ自身が担う。

 

機械によって製作されるのでない限り、一粒として同じものはないわけであり、最後に人が選別するにしても限界(製品にする上での品質管理におけるスペックの範囲)はある。

 

 

真珠のネックレスの価値の基準として、一粒一粒が完璧に揃っている方が価値が高い。

 

しかし一粒一粒に「違い」がある方が、より現代的だし、面白いと思った。

 

現代は個性を認め合い、多様性を尊ぶ時代なのだ。

 

サイズの違いがあれば色味も違う。真球もあれば楕円球もある。

一粒一粒の個性が、現代社会や世界を写しているような、そんな壮大なことを考えてしまった。

 

ある真珠店のご主人は言っていた。

「ひと昔前は黄色味の真珠は価値が低かった」と。

(黄ばむ、などのネガティブなイメージからだろうか?)

 

しかしこれだって、

「イエローの真珠は美しい」と感じる人は当然いるはずである。

買い手の感性や価値観もまた多様なのだ。

 

 

「世界中の女性の首に真珠を」

と誓い、貝の中の珠を、ジュエリーへと昇華させた御木本幸吉。

 

その精神は、現代の、今後の時代においてよりいっそう輝くものになると思われるのだった。

 

 

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Pearl

Ep.10

英虞湾 Ago bay is located in southern Mie and filled with ria coast.

It is also famous for pearl farming.

 

御木本幸吉 Mikimoto Kokichi was born on Toba city in 1858.

He was succeeded in pearl farming and mass production for the first time in the world.

He was also founder pearl jewelry company Mikimoto.

 

As I gazed pearl necklace in jewelry shop, I noticed that a pearl was different from size, shape, color and gloss one by one!

 

It makes sense due to a cultured pearl was created by an inside Akoya pearl oyster.

 

I considered each different pearls indicated our present society and diverse world.

They might express individual personality.

伊勢志摩ガストロノミー

Ep.9

「御食国(みけつくに)」

 

と称され、古代より朝廷に神事などに用いる特別な海産物を献上してきたと言われるのが、若狭国淡路国志摩国である。

 

現在においても伊勢市志摩市などのエリアは、海の幸・山の幸に恵まれ、

この圧倒的に豊かな食材に魅了され、感性が刺激され、この地の特色を存分に活かした料理を創造すべく、多くのオーナーシェフたちとフレンチレストランがある。

  

その先駆けは、この地が世界に誇る「志摩観光ホテル」(通称シマカン)の5代目料理長だった、故・高橋忠之シェフだった。

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高橋忠之シェフ (志摩観光ホテル 公式HPより)

高橋さんが提唱した「海の幸フランス料理」は、徹底的に伊勢志摩の食材にこだわるというもので、多くの観光客がシマカンのレストラン目当てでこの地を訪れた。

 

聞いたことはあるけれども実際には食べたことはないかもしれない「伊勢海老のクリームスープ」や「アワビのステーキ」は、高橋さんの着想によるものである。

 

高橋さんは、東京と京都に集中する日本の美食界において、伊勢志摩エリアに特別なプレゼンスを与え、後進に計り知れない影響を与えた。

 

その精神は現在進行形である。

2018年、伊勢志摩エリアのフレンチ・日本料理・バスク料理・寿司・そばなどのシェフたちを中心に「エバーグリーン常葉の会」が結成された。

これはジャンルを超えて、オープンマインドな姿勢を持って、研鑽を積み、この地の食文化を発展させていこうという趣旨だ。

 

このような活動は「美食の街」として知られるバスク州サン・セバスチャン地方をモデルにしたのだろうが、個人的には、さらに遡ることができると思う。

 

それは「フレンチの神様」と言われた故・ジョエル・ロブション氏の精神である。

 

『他の人から得たことは、人に伝えなければならないという義務が私たちにある。知識を伝えることこそ、今日を進歩させているからだ。人間として最も大きな満足感は、知識を伝えるという義務を果たすことから得られる。』

ジョエル・ロブション 著 「ロブション自伝」より

 

このロブション氏が絶賛したのが、高橋忠之シェフの創る料理だった。

 

シマカンは2016年のG7伊勢志摩サミットの舞台となった。

晩餐会を指揮し、この地の誇るべき食材を世界に伝えたのが7代目にあたる現料理長の、樋口宏江シェフである。(NHKの有名ドキュメンタリー番組にも出演された)

 

サミット後、シマカンと樋口シェフは『伊勢志摩ガストロノミー』を掲げ、この地域の食材で構成されるランチ会を開催して毎月大変盛り上がっている。

 

国内外問わず、スターシェフたちは食の啓蒙や教育活動を大変熱心にされているが、シマカンのような組織(ホテル)でこのような取り組みをしているのは珍しいことだと思う。

今でもこの地域の精神的支柱なのだ。

 

「ガストロノミー」の意味するところは広いが、突き詰めると、

 料理を作ってくれた方たちへの感謝の気持ち

 食材の生産者の方たちへの感謝の気持ち

 自然の恵みに対する感謝の気持ち

にいきつくと思う。

  

伊勢志摩エリアにおける「食」の盛り上がりは、今、加速しているところである。

 

 

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Ise-Shima Gastronomy

Ep.9

Ise city and Shima city are located in southern Mie.  It is famous for rich ingredients from sea and mountain.

 

Officials of old Shima province served their distinct sea ingredients for emperor in 7th century.

It was important offering for religious ceremony.

 

Nowadays in Ise-Shima area, there are some wonderful French restaurants.

Rich ingredients in the area give inspiration and passion to cook creative cuisine to lots of chefs.

 

Spiny Lobster, Abalone, Matsusaka beef, Oyster, Escargot..

 

In 2016, G7 Ise-Shima summit was held in Shima Kanko Hotel and their French restaurant served dinner for world’s leaders.

 

Their rich ingredients and cuisine were paid attention again.

 

Following summit’s legacy, various genre of chefs in the area have started “Ise-Shima Gastronomy movement” to develop their food culture.

Their challenge is accelerating.

 

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Spiny lobster

 

usagism2000.theshop.jp

ロブション自伝 (中公文庫BIBLIO)

ロブション自伝 (中公文庫BIBLIO)

 
美食の歓び

美食の歓び

 

 

イオンの母国

Ep.8

先日、美容院にて担当のにいちゃん(20代、四日市市富田一色町出身)と話していたときのこと、

美容師:「僕の実家は北ジャの近くで、家の裏には海があって…」

私:   「!? 今、『北ジャ』って言いました?」

美容師:「ああ、はい...(照れ笑い)」

 

 

そのような呼び方をする人がいることは聞いていた。しかし実際に耳にしたのは初めてだった。

 

『北ジャ』(きたじゃ)、とは、現・イオンモール四日市北店のことで、旧名称の「ジャスコ」から引き続き、今も変わらず地元の方たちから呼ばれ続けているものだ。

 

ちなみに四日市市尾平(おびら)にあるイオンは『おびジャ』である。

(なお、このブログのタイトル「みんなの笑顔が三重(みえ)てくる」は、『おびジャ』の三重県特産品コーナーにて常にエンドレスで流れている唄の一フレーズから拝借したものである)

 

 

日本最大の小売業「イオン」

その創業の地は、この四日市である。

歴代の社長の多くは創業家の岡田家出身で、現在のイオンの会長は、現・立憲民主党岡田克也氏のお兄さん、岡田元也氏である。

 

2019年11月。この四日市にて「日本で2番目に大きい」「東海地方で1番大きい」と謳う「イオンタウン四日市泊(とまり)店」がオープンした。

 

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イオンタウン四日市泊店

そうでなくてもこの辺りでは、特別に大きいイオンタウンイオンモールが多い。

東員(とういん)町、桑名市四日市市鈴鹿市、津市。

これはほぼ連続して隣あう街に全てメガショッピングモールが存在していることを意味する。

 

遠州地方で喩えるなら、「ららぽーと磐田」クラスのメガモールが森町にも袋井市にも掛川市にも菊川市にもあるようなもので、

「そんなに作ってどうするの!? 浜松だって(名古屋だって)近いのに」

と思うのだが、どこの店舗も大変賑わっている。

 

まさに誇り高きイオンのお膝元なのだ。

(個人的には近隣に激しい交通渋滞を巻き起こし、個人経営の小売店を破壊して地域の多様性を消失させることに良い印象は持たないが。。 あまりネガティブなことを言うのはよそう)

 

 

三重県のご高齢世代の方たちの中には、イオンのことを今も「岡田屋」と呼ぶ人がいるとの情報もあるが、私自身が彼らとお話しできる機会に恵まれていないため真偽は不明だ。

 

もっとも冒頭の『北ジャ』に話を戻すと、これは母国ゆえの呼称・愛称であるとは言えない。

というのも、今から15年ほど前の話になるが、私の地元、茨城県水戸市内原(うちはら)にあった旧・ジャスコ水戸内原店は『内ジャス』(うちじゃす)と地元民から呼ばれていたからだ。(最寄りの常磐自動車道インターの出口から渋滞が起こっていた)

 

 

兎にも角にもこの街、四日市に始まり、やがて全国を制したイオンは、

創業の地の方たちだけでなく、全国の郊外に暮らす方たちにとって、身近で大切な存在なのだった。

 

 

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Origin of “AEON”

Ep.8

Japan’s biggest retailing, “AEON” originates from Yokkaichi city.

And some giant “AEON” (mega shopping mall) are located around this region.

This is just symbol and feature.

 

Nowadays we can see “AEON” whole of Japan, especially suburban and country area.

It is friendly and attractive shopping site for such citizen.

オールド四日市エリア

Ep.7

近畿地方の都市ではしばしば、JRよりも私鉄の駅の方が栄えているということがある。四日市もそれに該当する。

 

この街の中心は近鉄四日市駅であり、近鉄百貨店や1番街商店街などは人々で賑わっている。

 

一方、中央通りを介して1kmほど離れたJR四日市駅は、唖然とするほど利用客がおらず、商業施設もない。

12年前、私が青春18 切符の旅で初めてこの駅に降り立ったときは、「知名度の高い都市の割に駅はすごく小さいんだな」と感じた。

その様相は当時から全く変わっていない。

 

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四日市に遊びに来てくれた友人が、

「これフェリー乗り場?!」

 

と言っていたが、言い得て妙である。

人口30万人を擁する地方都市の玄関口としては、なんとも寂しい限りである。

 

なお四日市を含む伊勢湾沿いのエリアは、近鉄名古屋線とJR関西本線が、名古屋から並んで出た後、共に南下していくのだが、彼らはまるで双頭の龍のように絡み合って走っている。

 

例えば四日市市の北部にある冨田(とみだ)駅からは、JRが東側(海側)、近鉄が西側(内陸側)を走るが、四日市駅より南では両者の位置関係が逆転する。

 

JR四日市駅を含む海側の鉄道沿線(JR、近鉄に限らず)は、いずれも人通りや交通量、商業施設は極端に少ない。

工場が多いため、煙突や倉庫などの建造物は目立つものの、あまり元気に可動しているようには見えないのだ。

 

そして私は個人的に、この辺りを『オールド四日市エリア』と呼ぶことにしている(インドの首都デリーに因む)。

 

 

しかし私はこの『オールド四日市エリア』が、けっこう好きだ。

 

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シャッターのしまった商店、海に突き出た工場、稼働する煙突、雑草が生えた空き地、うらさびれた感、くたびれた感、儚さを感じる。

 

好きと感じる、その理由の源泉を長らく考えていたのだけれど、先日自転車でこの地を巡っているとき、突然気付いた。

 

 

本当に遠い遠い昔の記憶なのだけれど、この『オールド四日市エリア』は、10歳になるまで暮らしていた広島県竹原市の景色に似ているのだ。

 

あの街も、瀬戸内海に沿ってJR呉線が走り、線路よりも南側には工場(製錬所)や煙突があった。海に面していて、金属構造物の腐食が見られ、潮風やほのかな磯の香りまでなんだか似ているような気がしてきた。

 

 

『オールド四日市エリア』

それは私の記憶の深くに眠っていた大切で美しい情景を思い起こしてくれたのだった。

 

 

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“Old Yokkaichi area”

Ep.7

Center place of Yokkaichi city is definitely Kintetsu Yokkaichi Station.

Many citizens walk street and enjoy shopping.

 

On the other hand, JR Yokkaichi station which is 1km away from Kintetsu Yokkaichi Station is so tiny station.

 

Around a railway line which runs along sea is no commercial area.

We can see some factories or storehouses like old fashion.

 

I call this “Old Yokkaichi area”.

And I like this area.

 

Because I consider “Old Yokkaichi area” resembles Takehara city, Hiroshima where I grew up until 10.

 

It makes me bring back my precious and beautiful memories.

 

御在所岳(鈴鹿セブンマウンテン 1/7)

Ep.6

みなさんは東海道新幹線に乗車していて、名古屋―京都間を走っているとき、

「なぜこのルートを走っているのだろう?」

と思ったことはありますか?

 

というのも、旧・東海道とは、

名古屋を出た後、桑名→四日市、と南下した後、

鈴鹿→亀山→関、まで西進してからはやや北に向かい、

滋賀県に入って、甲賀から琵琶湖の南側まで抜ける、というルートだ。

そのため国道1号線JR東海道線はほぼこのルートを辿ることになる。

 

しかし新幹線の場合、「東海道」とは言うものの、名古屋以西は、

大垣→関ヶ原米原→大津、というルートを辿っているのだ。

これはなぜだろうか??

 

 

それは、「鈴鹿山脈」を避けているためである。

 

あらためて地図を見ると、南の鈴鹿山脈、北の伊吹山、の間を縫うように、新幹線は走っていることが分かる。

 

 

その鈴鹿山脈である。

三重県滋賀県の県境となるこの山脈は、標高1,000m前後の山々が連なり、日帰り登山に適するため県内外の登山客を惹きつけている。

 

 

鈴鹿山脈には、『鈴鹿セブンマウンテン』

という非常にクールな名で称される7つの山々がある。

 

藤原岳(1,144m)、竜ヶ岳(1,099m)、釈迦ヶ岳(1,091m)、御在所岳(1,212m)、雨乞岳(1,237m)、鎌ヶ岳(1,161m)、入道ヶ岳(905m)である。

 

この中で最も有名で人気があり、ロープーウェーやスキー場、麓には温泉街も整備されており、「鈴鹿セブンマウンテンの盟主」と称されるのが『御在所岳』(ございしょだけ)である。

 

四日市市のとなり街、菰野町(こものちょう)にあり、近鉄四日市駅から20kmほど西に行くと登山道入り口に着く。

 

 

夏真っ只中、盟主に挑戦を挑んでみた。

 

中級者向けで、比較的ロープーウェイの下の最短距離を通る「中道」と、

初級者向けで、距離が長めの「裏道」があるようでしたが、

迷うことなく「中道」を選択!

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いざ出発

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先は長い。赤色のロープーウェイが景色に映える

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岩だらけ

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有名な地蔵岩。なぜ、崩れないのだろうか?

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眼下には菰野町四日市の街。ゴールは近い

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ゴール

岩を乗り越え、岩と岩の隙間を通り、結構ハードだった中道を制覇!

ハイキング的な場所はほぼなく、一貫して岩と対峙する感じでした。

というのも、御在所岳はロッククライミングができる箇所もあるほどの岩山なのです。

 

なお鈴鹿山脈では、「鈴鹿セブンマウンテン」以外にも、

鈴鹿10座』

(御池岳、藤原岳、竜ヶ岳、釈ヶ岳、御在所岳、雨乞岳、イブネ、銚子ヶ口、日本コバ、天狗堂)、

『亀山7座』

(仙ヶ岳、野登山、臼杵ヶ岳、四方草山、三子山、高畑山、錫杖ヶ岳)

 

というものまである。重複している山もあるものの、すべてを制するには果てしない道のりだ..

でもまあまずは、鈴鹿セブンマウンテンの制覇を目指そうと思うのでした。

 

 鈴鹿セブンマウンテン  1/7

 

 

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Suzuka 7 mountains

Ep.6

The land of Mie prefecture extends in a north-south direction.  And almost of west side is Suzuka mountains.  There are some 1,000m height mountains.

 

Especially “Suzuka 7 mountains” are wonderful area as one day hiking.

御在所岳 Gozaisho-dake” is the most famous and popular, so-called “the Ace” in this 7.

 

This summer I hiked Gozaisho-dake.

 

It was rocky mountain, so that hard for me.

I was exhausted than I have imagined.

But the view from mountaintop was great.  It made me happy!

 

Achievement ;

Suzuka 7 mountains 1/7

 

三重県の方言 その2

Ep.5 

市内で小学校の教員をしている妻が、興味深い情報をもたらしてくれた。

児童たちが、

『せー・のー・で・わっ!』

 

と言っているというのだ。

それは興味深い。

 

早速、会社の後輩(地元出身)に聞いてみた。

 

私:  「三重の人って、『せー・のー・で・わっ!』って言う?」

後輩: 「!? 言いますね!」

私:  「最後の『わっ!』いるの?」

後輩: 「・・・いりますよ!」

私:  「『で』でいくんじゃないの?」

後輩: 「『わっ!』でしょ。違うんすか?」

私:  「普通は『いっ・せー・のー・で!』とか『いっ・せー・のー・せ!』じゃないの?」

後輩: 「え!? そうなんすか?」

 

という会話だった。

 

私たちは例えば、複数人で何か重たいものをタイミングを合わせて持ち上げようとする際、上記のような掛け声を使用する。

上の例でいくと、もし他県出身者が1人混じっていたら、タイミングがずれてしまうではないか。

 

担当の美容師のにいちゃん(四日市市富田一色町出身)にも聞いたところ、全く同じ回答だった。予期せぬところにユニークな違いがあるものだ..

  

何故『で』でいかないのだろう?、と思っていたのだけれど、しばらくした後で気付いたことがある。

 

三重人は、『せー・のー・で・わっ!』と言っているのであり、決して、

『いっ・せー・のー・で・わっ!』

とは言わない。

 

全国標準『いっ・せー・のー・で!』も、

三重県の『せー・のー・で・わっ!』も、

ともに1・2・3の後の4拍目でいくことに変わりはない!

そう考えると、何も変ではないではないか。

 

そもそも、力を入れるジャストタイミングのときの音が、『で』であるか『わっ』であるかなんていうのは重要ではなく、

その前に全員の呼吸をアジャストし、対象にフォーカスするのに必要な事前の間が、

ワン・ツー・スリー、だったのだ。

 

 

というわけで、業務でこの掛け声を体験する(或いは己から積極的に使用する)シチュエーションが来ないかな、と密かに期待していたのだけど、そうそうチャンスは来なかった。

 

そんな折、県内のある山に登ったときに、はからずも私自身がこれを実際に見る(聞く)機会に巡りあった。

 

山頂にて、私の左側にいた小学生の姉妹が、山々を背景に写真を撮ろうとしていた。

お姉さんの方が被写体である妹さんに向かって、

『せー・のー・で・わっ!』

と言っているではないか!?

 

妹さんは、『わっ!』のタイミングでのジャンプを試みていた。

要するに、背景の山々は今自分たちがいる山頂よりも背が低いため、ジャンプすることで、山々を飛び越えているように見える、そんな写真を撮りたかったものと思われる。

 

(うわ〜本当に使うんだ!)

と心の中で思っていたら、今度は私の右側で、

 

小学生の兄弟が、

『いっ・せー・のー・で!』

と言ってやはりジャンプしているではないか!?

 

こちらはきっと他県からやって来たのだろう。

 

なるほど、この掛け声によって三重県出身者かどうかが分かるんだ!

と独り納得したのだった。

 

 

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Mie dialect part 2

Ep.5

For example, if we lift up something heavy object with multiple people, we might say

 “いっ Ye / せー Se / のー No / で! De ! ” as mutual adjustment in general.

 

But curiously Mie citizen say

せー Se / のー No / で De / わっ! Wa !

 

I think this is one of Mie dialect.

Initially I felt strange, but I noticed for a while.

 

わっ Wa” as final sound is very unique, but it is not important that final sound is

で De ”  or  “わっ Wa ”.

 

Both standard and Mie version adjust timing with 4th sound after 1st, 2nd, and 3rd.

That’s why they are not big difference.

 

三重県の方言 その1

Ep.4

広島弁の「じゃけん」

茨城弁の「だっぺ」

遠州弁の「だら」

 

に相当し、「三重弁」を表現する最も象徴的な方言、

それこそが『やん』(否定形)である。

 

三重県はプチ関西弁ということもあり、「やん」は例えば、

付加疑問文の「〜でしょ?」の意味で、「〜してるやん?」とか、

強調の「じゃん!」の意味で、「カッコエエやん!」

などもある。

 

ただここで取り上げたいのは、「否定形『ない』の意味としての『やん』」のことだ。

 

使用例としては、下記のようなもの(全て私の実体験)となる。

 

・駐車場で隣の車とのスペースをギリギリで駐車してしまった運転手のお母さんに対して、不満ながら後部座席から外に出ようとした娘さんの言葉

 「出れやん!」

 

・図書館に入場してきたお母さんが幼い娘さんに言った

 「借りやんでもいいからね」

 

・酒屋のご主人の説明中に出てきた

 「瓶囲いというのは、タンクに入れやんで、瓶に・・・」

 

・会社の後輩(地元出身)にある光学フィルムの屈折率を測定してもらおうとしたときの後輩の言葉

 「これ、できやんすね! 測定、できやんっっすねー!」

 

などである。

 

先日も会社にて、比較的地元出身の方たちが多く出席するある会議に出たとき、

高頻度で『やん』が出てくるため、私としては都度それに反応してしまい、たいして議論に集中できなかった、ということもあった。

(話は逸れるが、私たちが日常、こんなにも否定文を利用しているんだ、ということが分かった)

 

 

他県出身の私にとっては、これは、本当に不思議なのだけれど、

文脈の中で、否定形としての『ない』がいざ出てくるというそのとき、

彼ら(三重人 みえじん)は、必ず、器用に、かつ実にナチュラルに『やん』に変換するのだ。

 

ここで気付くことは、『ない』を『やん』に言い換えたところで、別に省略されて言い易くなっているわけではないということだ。同じ2文字(2音)だし。

 

 

非常に興味深いのは言うまでもないとして、

これは一体どいうことなんだろう? としばらくの期間考察していたのだけれど、ある仮説に至った。

 

 

例えば私たちが、外国語で何かを表現しようとするとき、

ビギナーの人ならば、まずは頭の中で日本語の文章を考えた後、それを外国語に変換するというプロセスを経るはずだ。

 

しかし三重人があんなにもナチュラルに『やん』を使用してくる様子を見ると、

そもそも彼らは『ない』を『やん』に変換するというプロセスがなされていないものと思われる。

つまり、彼らは『やん』のネイティブなのだ。

 

 

なんだ、そういうことだったのか〜、ということでこの自説を地元出身の美容師のにいちゃん(四日市市富田一色町出身)に聞いたところ、

 

「そうかもしれないですね! というか、ぼくら『やん』使うとき、あまり何も考えてないんすよね!」

とのことだ。

 

三重弁の象徴たる『やん』(否定形)は、今後もこの地で使われ続けることだろう。

 

 

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Mie dialect  part 1

Ep.4

I’m so interested in dialect.  Of course Mie prefecture has “Mie dialect”.

 

The most impression one is definitely “やん yan” (as negative expression) to replace “ない nai” as general negative form.

 

Mie citizen uses “yan” very naturally and smoothly in their negative context.

On my hypothesis, Mie citizen is a native “yan” user without using “nai”.

Such a distinct dialect will be used in this region.

 

県民性

Ep.3

三重県の方たちの県民性や気質とはどのようなものだろうか?

最近では「民度」という言葉もよく耳にする。

 

しかし私はこの類の表現が好きではない。

○○人は△△だ。

と評するのは、一部の人を見て判断しただけで全部を見ていない(有効なサンプル数に満たないのに結論付けている)気がするし、そのようなシンプルな答えを外部からは求められるのだろうが、安易に結論付けるのは危険だ。

 

ただし、非常に緩くではあるが、全体の傾向として、上述の類で表されるものが存在することはあり得ると認める。

 

『どんな地域であれ、そこにはそこの風土があり文化があり歴史がある。その中で育まれた人 の気質やメンタリティがある。私はそれに敬意を表する。「民度が低い」などとは口が裂けても言わない。第一、相手に対して失礼だろう』

柳澤寿男 著「バルカンから響け!歓喜の歌」

 

これはバルカン交響楽団の指揮者、柳澤寿男さんの言葉である。内戦や民族対立に苦しんできた、バルカン半島の国々の音楽家たちを束ねた氏の言葉だけに、とても感銘を受けた。

 

さて、冒頭の問いに対する私の答えだが、

多くの地元出身の方と接したわけではないため結論付けられない、ということになる(当然だ)。

 

 

そんな中で、県民性や気質とは少し異なるのだけれど、私がとても気にしていることがある。

それは「交通マナー」である。

 

四日市のドライバーたちの交通マナーの低さ、これが絶望的なのだ。

私は毎日自転車で通勤しているため、よく身の危険を感じている。

 

・横断歩道で渡ろうとしている歩行者がいるのにそれを無視して当然のように通過する車

・赤信号になる直前でのスピードアップによる右左折

・自動車1台しか通れない程度の狭い道路における速度超過

・右折したい箇所まであと少しだが前方が渋滞している際、対向車が来ないのを良いことに対向車線を逆走して右折する行為

 

これらは日常的に目にする行為であり、どれもこれも憤りを感じるものばかりだ。

 

もちろん歩行者のマナーもまた低い。あと20mも行けば横断歩道があるのに、利用しないで大通りを横断する歩行者や自転車。

滅茶苦茶なのである。

 

私の会社では東京をはじめ他県出身者が多数いるが、彼らも例外なく口を揃えて言うのが、交通マナーが悪い、というもので、彼らもまた、幾度も危険な思いをしているようだ。

 

といったことを先日、市政アンケート対象者にたまたま選ばれたため、自由記述欄に記した。

ただのクレーマーだとみなされないように、冷静に、丁寧に、論理的に、かつ熱量を持って記したのだが、四日市市政の担当者の方たちに私の声は届いただろうか?

 

この世で最も難しいことの一つは、人々の意識を変えること。

この街の交通マナー向上を切に願う次第である。

 

 

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Traffic manners

Ep.3

Since I was 13, a junior high school student, my commute has been with a bicycle for more 20 years.

I have ridden both country and urban area to go to junior-high, high school, university, graduate school and company without any public transportation system like train.

 

But in this city, traffic manners are the worst.

I am always disappointed poor traffic manners when I ride a bicycle.

 

To change mindset of people is one of the most difficult things.

I wish their traffic manners are improved. 

 

バルカンから響け!歓喜の歌

バルカンから響け!歓喜の歌

  • 作者:栁澤 寿男
  • 発売日: 2015/06/12
  • メディア: 単行本
 

 

四日市の風土

Ep.2

『組織や地域の風土を作るのは土の人と風の人だと言われる。

 土の人は、土地や組織に根ざして文化や慣習を守り受け継いでいく。

 一方の外部から入ってくる風の人は、新たな価値観や考え方をもたらしていく』

                     山川徹 著「国境を超えたスクラム」より

 

四日市の風土とはどのようなものだろうか?

三重県の北部、名古屋からは電車で30分強の場所に位置するこの街は、東海地方を代表する工業都市として知られている。

 

自動車や機械メーカーの工場が多い中京工業地帯にあって、この街については化学メーカーが多数派であり、全国でも屈指の石油コンビナート・化学プラントを擁している。

 

主な化学メーカーを列挙すると、

三菱ケミカル、JSR、東ソー、DIC、三菱ガス化学、JNC、BASFジャパン、コスモ石油、味の素、と錚々たるメンバーだ。

 

これらのメーカーの多くは「化学プラント」を有している。

 

個人的な所感だが、化学プラントというのは一つの生態系である。

製造部門の方たちは交代勤務で24時間プラントを運転し、化学製品を製造している。

工務部門の方たちは365日プラントを保守・保全し、定期的な修理・修繕については地場のエンジニアリング・土建会社に委託している。

開発・技術部門の方たちは工程の改善やトラブルが起きた際に速やかに対応している。

品質管理部門の方たちは製品の出荷に際し、検査し保証する責任を負っている。

 

「化学プラント」という一つの存在が、実にたくさんの人の雇用を創出し、彼らにご飯を食べさせてくれている。

 

あらためて「物理的なモノ」を作り、販売して利益を得る、というプロセスの、スケールの大きさを感じる(これと比較してIT産業の省人化・省インフラ化のいかに優れたことか..)。

 

上記に列挙した化学メーカーたちは大手なので、「四日市工場採用」として多くの地元の方たちを採用している一方で、責任者や管理職の一部には「本社採用」の方たちを出向させて起用しているものと思われる。

 

冒頭の風土の話を持ち出すと、前者が土の人、後者が風の人となる。

 

古くからコンビナートや化学プラントが発展したこの街は、外から来る方(風の人)を受け入れる土壌がある。そして両者が一体となって組織を、地域を運営し、発展してきた、そんな歴史がある。

これこそが四日市の風土だと、私は思う。

 

県内最大の人口と経済規模を誇る工業都市にして、三重県の中の異端。それが四日市である。

 

 

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風土Fuu-Do

Ep.2

風土Fuu-Do means “environment based on nature, climate, atmosphere, history, culture, custom and so on”.

 It is said that a good social organization or regional community are driven by people as soil and people as wind.

 

 People as soil have lived in the area.  They have preserved their culture and told their spirit.

 People as wind have come to the area from outside.  They have brought new value or innovation to the area.

 

 This city, Yokkaichi has been developed by big chemical companies since middle of 20th century.

 It must be built by both people as soil and people as wind

 

 

四日市にて

Ep.1 

四日市で暮らし始めて約1年がたった。海があって山があり、人も多くないこの街での生活は充実している。

 

私は10歳になる年まで広島県竹原市という街で暮らし、その後父の地元である茨城県つくば市で暮らした。前者は瀬戸内海に面した風光明媚な街で、後者はあたり一面に田んぼが広がる(私の実家周辺は)愛すべき街だ。

 

海や山や林や田んぼに囲まれた場所で伸び伸び育った(と思う)一方で、東京に対する憧れもまた増していき、大学は東京へ行った。

大学院、社会人と進んで10年以上東京(と横浜)で暮らしていた30歳の年、子会社へ出向することになり、静岡県袋井市での新しい生活がスタートした。2016年の春のことだった。

 

袋井で暮らし始めてすぐに、私はこの街、この地方(遠州)の魅力に圧倒された。

煌く太平洋、広大な砂浜、穏やかな気候、素敵で愉快な人々。あらゆるものに心を奪われた。

 

東京との「違い」を感じること。「地域性」をリスペクトして楽しむこと。

それらはこの街で暮らす中で明確に意識したことだった。

 

もはや第2の故郷になった、袋井  (妻とはこの街で出逢った)

最高の地方都市、浜松

美しい岬の街、御前崎

 

遠州の誇るべき自然や街々が、上京する以前はずっと暮らしてきた地方の素晴らしさを呼び起こすきっかけとなった。

 

 

記録と記憶に刻まれた完璧な2年間を遠州で過ごした後、私は出向解除により東京に戻った。2018年の春のことだった。

 

2年ぶりに暮らす東京では、あらためて絶望的な人の多さに愕然とした。私の住まいは郊外の日野市だったけれど、家の前の道路は渋滞で、休日は飲食店も商業施設も人だらけ。

東京は本来魅力的な街なはずなのに、人口過密が多くの人を苛つかせ、不幸にしていると思う。人の多さは、私が大学時代を過ごした10年前よりも激しくなっているように思えた。

 

1年が経つ頃、私は、もう、本当に、いやになってしまった。

 

本格的に転職を決意したのは2019年の夏のことだった。

一番の理由は、業務内容や将来のキャリアを考えてのことだったが、他方で、東京を離れて地方で生活したい、という想いもまた同等に強かった。

幸いにも、私が勤務するような化学メーカーは、地方に開発拠点や工場がある(むしろ地方にこそ多い)。

このようにして決まったのが、四日市での生活、だった。

 

 

この『みんなの笑顔が三重(みえ)てくる』では、

「地域性」に光をあて、「違い」を学び、リスペクトし、楽しむというスタンスで、四日市市三重県の魅力を伝えていこうと思います。

 

 

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At Yokkaichi

Ep.1

One year has passed since I moved this city, Yokkaichi, Mie.

I’m enjoying this life.

 

Takehara city, Hiroshima and Tsukuba city, Ibaraki are the city where I grew up.

The former is beautiful city along Setouchi inside sea.

The latter is lovely area surrounded rice field.

 

Since I left my home town, Tsukuba, I have lived in Tokyo for more 10 years.

 

In 2016, I moved Fukuroi city, Shizuoka due to my job and I was in love.

Brilliant Pacific ocean, vast beach, mild climate and so many wonderful people...

I brought back the past, “life in regional city” was great!

 

After that, I went back to and lived in Tokyo again, but I was so stressful for crowded people in this giant city...

 

In 2019, I have decided job transfer.

The reasons were not only my future career as an engineer, but also life in regional city.

So that I started to live in Yokkaichi.

 

As basic stance, I learn, respect and enjoy "regionality".

In this blog, I will tell the characteristic of Yokkaichi city or Mie prefecture to many people.

 

Episode 0

Ep.0

ふと車窓に目を向けると遥か向こう、高い石垣の上に佇む白亜の城が見えた。周囲は田んぼで平坦である分、それはいつまでも視界に入り続け、日が暮れ始めた仄かな闇の中にあっては孤高の雰囲気を醸し、よりいっそう妖しく、美しかった。

それは伊賀上野城だった。

 

 

2008年8月29日、私は初めて三重県を訪れていた。当時私は大学4年生で、JRの青春18切符を利用してJR奈良駅からJR津駅へ移動するため一人で関西本線を利用していたのだ。津で下車して夕食にラーメンを食べた後、再び乗車して今度は伊勢湾沿いに北方面に向かい、JR四日市駅で下車して近くのネットカフェに一泊した。

 

これは当時進めていた、鉄道を利用して日本全国を旅するという個人的な企画の一端で、都道府県庁所在地の名を冠した駅で下車することで達成、とするルールであったから、必然的に津に降り立ち、それをもって三重県をクリアとしたのだった。

 

出発前夜に翌日のおおよその行程と宿泊場所を決め、かつ旅費を節約するために全泊ネットカフェ、となかなかアバウトでタフな旅行だったが、47都道府県庁所在地クリア、という目的の前にあっては些細なことだった。

もちろん「未知の街や場所・景色を、見たい・感じたい」という旅の本質的な欲求はあったが、このときは三重県を重点的に巡るのに充分な時間的余裕がなく、伊賀も津も四日市も、実質観光することは叶わなった。

 

 

時は過ぎゆき人生は進み、2019年。

私は転職活動のため、丸の内である化学メーカーの最終面接を受けた後、内定をいただいた。

勤務地は四日市工場。

新しい街・職場・環境での新しい生活が始まる。奇しくも8月29日。初めて三重県を訪れてから11年後のことだった。

 

 

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Ep.0

This is my story about Yokkaichi city, Mie prefecture.  August 29, 2008, I visited Mie prefecture first time on the way of my “journeys in Japan” and I stayed internet café at Yokkaichi city.

 

Time goes by and our life goes on, in 2019.

I went for final job interview of a chemical company, fortunately I got it.

My new work location was Yokkaichi city.

Curiously it was August 29.  It was just 11 years later from my first visit.