みんなの笑顔が三重(みえ)てくる Jima-t’s diary

「地域性」に光をあて、「違い」を学び、リスペクトし、楽しむというスタンスで四日市や三重の魅力を伝えていきます

真珠

Ep.10

リアス式海岸が広がる志摩市南部の英虞湾(あごわん)。

その美しさを知覚できる場所の一つは、伊勢志摩スカイラインにある「朝熊山(あさまやま)展望台」だ。

 

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朝熊山展望台

 

或いは2018年にできた「横山展望台」では、より近距離から、入り組んだ地形、蛇行する海とムクムクした樹海を見ることができる。

 

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横山展望台

 

しかしながら、私たちが英虞湾と聞いてイメージする情景は、上空から撮影した下記のようなものではないだろうか?

 

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英虞湾の景色 (伊勢志摩観光ナビ HPより)

ヘリコプターから空撮したと思われる写真は、これぞまさに、といったところで、この景色には敵わないな、と思わせる。

 

そしてこの写真を見ているとおのずと目に入るものがある。

「白い長方形の浮いているモノ」だ。何か養殖しているのだろうか?

 

 

これは真珠の養殖のための筏(いかだ)である。

 

志摩市と隣の鳥羽市では真珠の養殖が盛んに行われている。

そして説明するまでもなく、真珠の養殖に世界で初めて成功した人物が、御木本幸吉(みきもとこうきち)氏だ。

 

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御木本幸吉 (ミキモト真珠島 HPより)

江戸時代の末期、鳥羽市うどん屋の息子に生まれた幸吉氏は、初めは地元の豊かな海産物に、後に真珠に着目し、強い情熱を持って真珠の養殖に取り組み、それを達成した。

その後、ジュエリーとしての真珠を製造・販売する現・株式会社ミキモトを設立し、販路を世界に広げた。

 

幸吉氏の人生については、鳥羽市の「ミキモト真珠島」にある見応えのあるミュージアムで学ぶことができる。

 

私の父が、過去に思いを走らせ、

「懐かしいなあ。俺は小学生の頃、国語の教科書に載っていた御木本幸吉の物語を授業で音読したら、先生から『とても上手に読めましたね』って褒められたことあるんだ」

 

と言っていた。

なんでそんなこと覚えているんだよ、と思ったが、褒められたので覚えているのだろう。

 

御木本幸吉。近代日本の産業界を代表する偉人である。

 

 

私自身はこの地で、数珠型の真珠のネックレスを、人生で初めて真剣に観察する機会があった。異なる価格帯のものを、複数の店舗で、じっくり観察することによって気付いたことがある。

 

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イメージ図 (ミキモト HPより)

一見すると全て同一に見える一粒一粒の真珠も、よくよく観察すると、

サイズ・形状・色味・光沢ムラ、が異なっているのだ!

 

少し楕円球になっているものもあれば、光沢に差異があるものもある。

 

だが考えてみればこれは自然なことだ。

養殖と言っても、最初に人の手で閉じたアコヤガイの中に「核」となるものを入れた後は、真珠自体の製作・成長はアコヤガイ自身が担う。

 

機械によって製作されるのでない限り、一粒として同じものはないわけであり、最後に人が選別するにしても限界(製品にする上での品質管理におけるスペックの範囲)はある。

 

 

真珠のネックレスの価値の基準として、一粒一粒が完璧に揃っている方が価値が高い。

 

しかし一粒一粒に「違い」がある方が、より現代的だし、面白いと思った。

 

現代は個性を認め合い、多様性を尊ぶ時代なのだ。

 

サイズの違いがあれば色味も違う。真球もあれば楕円球もある。

一粒一粒の個性が、現代社会や世界を写しているような、そんな壮大なことを考えてしまった。

 

ある真珠店のご主人は言っていた。

「ひと昔前は黄色味の真珠は価値が低かった」と。

(黄ばむ、などのネガティブなイメージからだろうか?)

 

しかしこれだって、

「イエローの真珠は美しい」と感じる人は当然いるはずである。

買い手の感性や価値観もまた多様なのだ。

 

 

「世界中の女性の首に真珠を」

と誓い、貝の中の珠を、ジュエリーへと昇華させた御木本幸吉。

 

その精神は、現代の、今後の時代においてよりいっそう輝くものになると思われるのだった。

 

 

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Pearl

Ep.10

英虞湾 Ago bay is located in southern Mie and filled with ria coast.

It is also famous for pearl farming.

 

御木本幸吉 Mikimoto Kokichi was born on Toba city in 1858.

He was succeeded in pearl farming and mass production for the first time in the world.

He was also founder pearl jewelry company Mikimoto.

 

As I gazed pearl necklace in jewelry shop, I noticed that a pearl was different from size, shape, color and gloss one by one!

 

It makes sense due to a cultured pearl was created by an inside Akoya pearl oyster.

 

I considered each different pearls indicated our present society and diverse world.

They might express individual personality.