みんなの笑顔が三重(みえ)てくる Jima-t’s diary

「地域性」に光をあて、「違い」を学び、リスペクトし、楽しむというスタンスで四日市や三重の魅力を伝えていきます

四日市空襲・模擬原爆・8月6日に想うこと

Ep.59

四日市市立博物館にて、この夏休み期間に開催中のアルフォンス・ミュシャ展が賑わっている。

 

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大人気のミュシャ展の片隅で、特別展示されていたのが「四日市空襲と戦時下のくらし」展だった。

 

終戦間際、ここ四日市でも激しい空襲により市街地が焼夷弾で焼き尽くされた。海沿い(現在のコンビナートエリア)に海軍の武器庫や軍需工場があったため、これが標的にされたようだ。最も激しかった1945年6月18日の空襲では、4万人以上の方が亡くなっている。

 

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この特別展自体は毎年開催されているが、今年は実物大の「模擬原爆」のタペストリーが展示されているのが特徴とのことだ。

 

模擬原爆とは、

「原爆を正確に照準点に投下するための訓練として、45年7月20日~8月14日、18都府県に49発が落とされた」もので、「このうち四日市市には7月24日に1発、8月8日に2発が投下され、計4人の犠牲者を出したことが分かっている」。(2021年6月27日、朝日新聞より)

 

四日市に投下された模擬原爆は通称「パンプキン」と呼ばれるもので、長崎に投下されたのと同じ形のものだ。

長崎に原爆が投下されたのが8月9日だから、四日市で「最終訓練」を実施したのかもしれない。

 

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2021年7月20日 毎日新聞より(写真の人は私ではない)

 

 

実物大の模擬原爆を見上げながら、私は記憶を過去に走らせていた。

 

 

小学校低学年のときのはなしだ。私たち家族は広島県に住んでいた。

そして当時の私にとって、一年間で最もイヤな日が8月6日だった。

なぜかと言うと、その日は小学校の「全校登校日」であり、体育館で「原爆に関するアニメ映画」を鑑賞することになっていたからだった。

(当時、私が通っていた小学校では夏休み期間中でも学年ごとの「登校日」が幾日か設けられていた。そして全学年が集結する唯一の「全校登校日」が8月6日だった。もちろん、この日は広島に原爆が投下された日だ)

 

「原爆に関するアニメ映画」と書いたが、それらのタイトルは今では覚えていない。加えてそれが「映画」だったのか、上映時間がどれほどだったのかも。

覚えているのは、このアニメがどうしようもなく悲しく、理不尽で、いたたまれなく、そして恐ろしかったということだ。

 

ストーリーの大枠は(これも正確には覚えてはいないのだが)、太平洋戦争末期の広島で、仲が非常に良い小学生の兄弟、あるいは親友が主人公で、終盤に原爆が投下され、どちらか一方が命を落とす、というものだった。これがパターンだった。もちろん小学生にとっても、序盤の時点で、終盤に悲劇が待ち受けていることは分かりきっていた。

 

言葉は悪いが、強制的に観させられるのだった。

 

真っ暗な体育館で、鑑賞中、悲鳴が聞こえたり、泣き出す子もいた。

 

無理もない、と思う。

これは動き始めたジェットコースター、のようなもので、

「この先、確実に怖いことが起こるので、私はその前に降ります(退出します)」

ということはできない。

一度上映が始まってしまったら、最後まで我慢して観るしかないのだ。

作品の序盤・中盤は、悲しくて理不尽でいたたまれなくて恐ろしい原爆が投下される、終盤の「そのとき」の描写のためにあった。

 

観るのがイヤだからといって目をつぶったとしても、音を完全にシャットアウトするのは不可能だ。最後まで耐えなければならないのだった。

 

だから私は8月6日に学校に行くのがイヤでイヤで仕方がなかった。

下を向いてしょんぼり登校していたと思う。

上映が始まると、もう早く原爆落ちてこの鑑賞会終わってくれよ、とか思っていた。

 

 

というようなことを書くと、当時行われていた「イベント」を批判しているように聞こえるかもしれないがそうではない。むしろ感謝している。

戦争や平和という大切なことを考えるようになったからだ。

 

小学4年生の夏、私は広島を離れて茨城県に引っ越した。ここでは8月6日は登校日ではなかった。それどころかクラスメートたちは、この日に原爆が落ちたこともよく知らないようだった。原爆や戦争についての授業や特別学習がないからだ。小学校の教育には、地域差があるのだ。

 

 

2016年、俳優ののんさんがヒロインの声を演じた劇場版アニメ「この世界の片隅に」が公開された。

太平洋戦争末期、呉市に嫁いだ女の子とその家族を中心とした物語だ。

 

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この作品が評判になっていったとき、

これは凄いことだぞ

と思った。

戦争や原爆を描いたアニメ映画を、大人は好んで観るのか、と驚いたし、

一方で、

自分はこの映画を劇場で観なきゃいけない

とも思った。

イヤで仕方がなかったのは小学生のときのはなし。今、自分が大人になってこの手の映画を鑑賞したらどう感じるのか。あるいは、私の人生で強烈な印象を残したあの「イベント」を再び体験してみたい、という気持ちもあった。

 

 

「この世界〜」は、ヒロインと家族のほのぼのとした日常も含め、戦時中の呉と広島の様子を描いたすばらしい作品だったが、特に終盤の原爆の描写については肩透かしをくらった。当時、私が小学校で鑑賞してきた作品とは違ったからだ。

 

第一に、ヒロインとその夫は若い(嫁いだ時点で18歳)とはいえ、夫婦だという点。

当時観た作品の主人公たちは子供だった。したがって小学生にとっては、作品への没入感や感情移入の度合いが異なるだろう。

 

第二に、「この世界〜」では主人公が呉で暮らしていることもあり、直接的に原爆の被害を受けていない、という点だ。

直接的な原爆の被害とは、閃光や爆風や高熱線や焼け野原や黒い雨などの一切合切を描写し、それらが主人公の身に起きる、ということだ。

 

 

広島県の小学校における8月6日の登校日や作品鑑賞は、その後なくなったと聞く。

私のような体験をしたのは昔の世代なのかもしれない。

 

近年、核兵器禁止条約の発効やノーベル平和賞受賞などで核兵器廃絶運動が盛り上がりを見せている。このムーブメントを担っている若者たちも多い。

 

啓蒙活動をしている、団体を立ち上げた、そんな現役大学生世代の彼らの出身をみると、広島県長崎県出身者が多いように見える。

被爆地での平和学習や原爆に関する教育は確実に継続され、次世代に受け継がれているのだ。

 

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Yokkaichi air raid and simulated atomic bomb

Ep.59

Yokkaichi was one of the devastated area in the Pacific war.

June 18th in 1945, this city was damaged by air raid, then more than forty thousand citizen died.

Munitions factories alongside the sea were the target for US army.

 

August 8th, simulated atomic bomb was dropped.

It might be the final test for dropping Nagasaki on August 9th.

 

In this country, summer is the season of remembering for the war and mourning for victim.