みんなの笑顔が三重(みえ)てくる Jima-t’s diary

「地域性」に光をあて、「違い」を学び、リスペクトし、楽しむというスタンスで四日市や三重の魅力を伝えていきます

四日市公害裁判判決50年

Ep.119

前の会社に勤めていた10年ほど前の話だ。若手社員を集めた研修(社長合宿)が唐突に始まった。

趣旨は、社長以下、重役の人たちが会社の未来を担う若手社員たちにメッセージを伝える、というものだった。

 

宿泊を伴ったこの研修では、若手社員たちはあらかじめ与えられた課題(小論文みたいなもの)をみんなの前で発表し、それを社長たちが論評したり、みんなで議論したりするものだった。

 

と言えば聞こえは良いが、実際には社長から考えが甘いと叱責されたり理不尽な指摘をされたりと、ほとんど全ての参加者は厳しいことを言われる運命にあり、従って始めから負け戦の様相を呈していた。

 

そんな訳であまり楽しい思い出はないのだが、この研修で社長が話したあることに、深く感銘を受けた。

 

 

君たちは歴史を学べ! 歴史書を読め! 歴史書には過去の人間の実験結果が全て書かれている。これを生かさない手はないだろう!

 

 

『歴史とは人類の実験結果』と表現するあたりが、エンジニア出身の社長らしいなと思った。

 

エンジニアやサイエンティストというのは実験や検証を行うが、それは基本的に失敗する(うまくいかない)。だから条件を変えて再トライをする(それもうまくいかない)。そのようなトライアンドエラーを何度も繰り返し、少しずつゴール(最適解)に近づくというプロセスをとる。

 

 

絶対王政共産主義も世界大戦も、既にやった。全て失敗した。だからもうやらない。歴史を学ぶこと、過去を知るということは、現在の自分達が置かれた状況や立ち位置を認識することに繋がり、より良い未来を作ることにも繋がるのだ

 

 

ストン、と腹に落ちた。

なぜ学校の授業で歴史を学ぶのか? と学生に問われたら、上のように答えよう。

ところで、現在の世界の指導者たちはちゃんと歴史を学んでいるだろうか?

 

 

四日市にも歴史を学ぶことのできる場所がある。

「そらんぽ四日市四日市市立博物館・四日市公害と環境未来館)」である(Ep.2159参照)。

 

今夏には企画展「四日市公害判決50年展~過去をふり返り未来へつなぐ~」が開催されていた。

そうなのだ。今年2022年は判決から50年の節目。化学メーカーたちの過失を認め、環境汚染を度外視した大量生産・利益追求の姿勢を戒め、その後の日本社会を大きく変えることとなった画期的な判決は、沖縄返還日中国交正常化と同じ年の出来事だったのだ。

 

 

企画展は子どもの視点で当時の四日市の様子を描く、という趣旨で、理解し易いように工夫されていた。

 

 

化学工場で出る廃棄物は主に「廃液」で、これは水や有機溶剤の中に有害な金属や粒子や有機化合物が含まれているというものだ。

工場で出る廃液の量というのはとにかく大量なので、外部の産業廃棄物処理業者に依頼するのはコストが合わない。従って自前の工場で処理まで行うことになる。

 

処理の仕方は大きく分けて2つしかない。

廃液を超キレイにした後に川や海に放流するか、燃焼させて有害成分を水と二酸化炭素に分解してから煙突で大気中に放出するかだ。

 

 

四日市ぜんそく」については煙突から排出された亜硫酸ガス(SO2)が原因だが、実は大気汚染が表面化する前には海から異臭がしたり魚が油臭くなったりという事象が報告されていた。

つまり当時の化学メーカーたちは自らの生産活動によって生じた廃棄物(廃液)をろくに処理することなく、海や大気といった自然界に排出していたということだ。

 

 

裁判の争点の一つは、原告の健康被害は被告(化学メーカーたち)が排出した煙の影響によるものであるか、というものだった。

化学物質を扱うプロである化学メーカーたちが亜硫酸ガスの有害性を把握していないはずはなく、つまりはしらばっくれていた訳だが、これには絶句するしかない。

 

 

1972年に出された判決では原告の全面勝訴となり、以後日本社会では環境改善の取り組みが進んだ。人々の「意識」が変わることとなる、歴史的な出来事だった。

 

四日市ぜんそくに限らず、水俣病イタイイタイ病も含めて、この一連の時期に起こったようなレベルの公害問題が今後も日本社会で起こる可能性は低いように思える。

しかしながら昨今の地球温暖化や異常気象の問題も、形を変えた広義の意味での公害と言えるかもしれない。

グローバルな大量生産・大量消費の果てに生じた事態に相違ないからだ。

 

 

大量生産・大量消費社会は、既にやった(過去)。

結果、地球環境に甚大な悪影響を及ぼすことが判明し、失敗した。だからもうやらない(現在)。

なので地球環境の永続性を最上位の概念に置きつつ、その上で産業や社会を発展させる道を目指すこととした(未来)。

 

SDGsもまた、人類の壮大な実験の一つだ。

 

 

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50 years anniversary of court trial judgement of Yokkaichi asthma

Ep.119

50 years has passed since the court trial judgement of Yokkaichi asthma.

In 1972, the court admitted negligence for chemical makers because of causation between asthma and sulfur dioxide, so that ordered them to pay compensation for damages.

It was significant incident which leaded the end of mass-production/mass-consumption era and made all people change their mindset to “eco” in Japanese society.

 

Present day, it’s unlikely to get back these days,1960’s, but global warming and abnormal climate might be also “industrial pollution”.  It’s global issues.

So that human has started to aim new strategy, “sustainable development goals, SDGs”.

 

www.city.yokkaichi.mie.jp