みんなの笑顔が三重(みえ)てくる Jima-t’s diary

「地域性」に光をあて、「違い」を学び、リスペクトし、楽しむというスタンスで四日市や三重の魅力を伝えていきます

佐佐木信綱

Ep.91

私は歌人俵万智さんが好きなのでデビュー作から最新作までの歌集を全て読んでいる。

小説やエッセーなんかも、読んでいる。

 

俵万智といえば、デビュー作『サラダ記念日』(1987年)の

 

『 「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日 』

『 万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校 』

 

などは高校の国語の教科書に載っていたし(当時)、

第3歌集『チョコレート革命』(1997年)も併せてそのインパクトあるタイトルで、知らない人はいない。

 

初期の作品はもちろん良いけれど、私が好きなのは第5歌集『オレがマリオ』(2013年)以降の作品だ。

 

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俵万智さん 好書好日より

 

若い頃は恋愛に関する歌が多かった俵さん。転機が訪れるのが第4歌集『プーさんの鼻』(2003年)だ。

ここでは妊娠・出産を経て育児が始まる様が、母になる過程が描かれる。

従ってこれ以降の歌集では「我が子への愛」が主軸になってくるのだが、実はもう一つ、軸があるのだ。

それは「地方の情景」を詠んでいることだ。これが実に面白いのだ。

 

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第5歌集『オレがマリオ』(2013年)

 

これは俵さんと家族の暮らす場所が変わったことと関連している。

第5歌集『オレがマリオ』では、仙台に暮らしていた著者が東日本大震災を経て、石垣島に移住した様が描かれる。

 

『 だだ茶豆、笹かまなども並びおり仙台の子のおままごとには 』

『 空がよく見えて寂しい十二月あおば通りの欅切られて 』

『 九十を越えねば「天寿」と記されぬ沖縄タイムス死亡広告 』

『 十月に短髪にする人多し夏の終わりはまだかと思う 』

『 中一も小一もいる鬼ごっこ小一専用ルール生まれる 』

『 耳慣れぬ声聞こえれば「鳥?虫?」と思う我なり島に暮らせば 』

(第5歌集『オレがマリオ』(2013年)より)

 

外からやって来た者だからこその「気付き」と感性を発動させ、その土地の情景を詠んでいる。

 

柿本人麻呂西行若山牧水も、歴代の歌人たちは「旅」をし、つまりは「旅先でインスピレーションを得て」歌を詠んできた。けれど『オレがマリオ』はそうじゃない。

その土地で暮らしている者だからこそ」読める歌になっているのだ。

 

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第6歌集『未来のサイズ』(2020年)

 

続く最新作の第6歌集『未来のサイズ』(2020年)では、石垣島から宮崎県に移り住む。

 

『 次に来るときは旅人 サトウキビ積み過ぎている車追い越す 』

地頭鶏のモモ焼き噛めば心までいぶされて飲む芋のお湯割り 』

『 「冷や汁」は「ひやしる」と読むほうが好き氷浮かべたような涼しさ 』

『 「青」という題詠で詠む延岡の高校生に青魚多し 』

(第6歌集『未来のサイズ』(2020年)より)

 

決定的な特徴を捉え、地域性に光を当て、その土地が放つ「匂い」も立ち昇ってくるような歌だ。とても印象的だし面白い。

 

(まるでこのブログと同じじゃないか!)

 

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『未来のサイズ』で迢空賞を受賞 角川武蔵野ミュージアム twitterより

 

ところで俵さんが早稲田大学文学部に在学中、師事したのが佐佐木幸綱氏(1938年生)である。つまり俵万智の師匠にあたる。

 

佐佐木幸綱氏のお父さんは歌人・国文学者の佐佐木治綱(1909-1959)。

 

佐佐木治綱のお父さんはやはり歌人・国文学者で万葉集の研究の大家であった佐佐木信綱(1872-1963)。

つまり「俵万智の師匠のおじいちゃん」が佐佐木信綱である。

そして佐佐木信綱の出身は鈴鹿だ。

 

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佐佐木信綱記念館より

 

かなり、

強引な前書きだったことは認めるが、

とにかく、

佐佐木信綱の出身は鈴鹿市の石薬師(いしやくし)だ。生家の隣には記念館がある。

 

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佐佐木信綱は父・佐佐木弘綱(1828-1891)の長男として生まれた。

6歳のとき、やはり歌人であった父・弘綱が鈴屋歌会(江戸時代の国文学者・本居宣長の流れをくむ)の再建を託されたことに伴い、松阪市に転居。

子どものときから父について行き、各地で歌を詠んでいた信綱。そんな息子に英才教育を受けさせるべく、父・弘綱は上京を決意。

1884年、信綱は最年少の13歳(!?)で東京帝国大学に入学したのだ。

 

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生涯に1万首以上の歌を詠んだ信綱。その中には地元を詠んだ歌も多数ある。

佐佐木信綱顕彰会では「信綱かるた」として50首を選定。普及活動に取り組んでいる。

 

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そんな郷土の偉人に敬意を表し、私も短歌を作ってみた。

 

1.

にーさんを北上すれば現れるそびえるプラントたなびく蒸気 我この街に暮らせり

 

2.

小雪舞う鈴鹿の杜に並ぶれば待ち人来たるキングカズなり

 

3.

秋晴れの清掃作業におのこおり しぶとき草と戦わば抜けやん!

 

 

これ、意味伝わっているだろうか?笑

つくづく俵万智の偉大さを知ったのだった。

 

<自己解説>

1.

国道23号線(通称にーさん)を鈴鹿方面から北上するとやがて右手前方にコンビナート地帯が見えてくる。林立する幾本もの煙突から延々と吐き出される蒸気。あぁ、これが四日市なんだな、自分はこの街に暮らしているんだなと思う瞬間(Ep.1920参照)

 

2.

鈴鹿ポイントゲッターズに三浦知良選手が移籍して来た。チームに合流した最初の週末、「スポーツの杜 鈴鹿」のサッカー場には、練習を一目見ようと雪が降る極寒の中、大勢の地元民が行列を成した(Ep.77参照)

 

3.

秋、町内清掃で公園の雑草除去作業に行くと大勢の子供たちも参加していた。ある男の子は雑草を抜こうと力ずくで一生懸命引っ張っていたが根が深くはっているためとうとう抜けず、最後に叫んだ。「やん」とは三重県の方言で否定形「ない」のこと(Ep.4参照)

 

佐佐木信綱顕彰会が主催している今年の歌会に投稿してみようかな。

 

 

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佐佐木信綱 Sasaki Nobutsuna

Ep.91

佐佐木信綱 Sasaki Nobutsuna (1872-1963) was a famous 短歌 Tanka poet and Japanese literature academics.  He was born in Suzuka city.

His house remains, next to his museum.  He’s proud of this city.

 

nobutsuna-karuta.org