みんなの笑顔が三重(みえ)てくる Jima-t’s diary

「地域性」に光をあて、「違い」を学び、リスペクトし、楽しむというスタンスで四日市や三重の魅力を伝えていきます

漂流 from 三重 part 2

Ep.56

 三重の地から漂流しながらも生きながらえた歴史上の重要人物と言えば、江戸時代の船乗り、大黒屋光太夫Ep.43参照)が有名だが、

太夫よりもっと昔に、しかも沖縄の歴史に特筆すべき出来事をもたらした重要人物がいたことをご存知だろうか?

 

室町時代真言宗の僧侶、日秀(にっしゅう)だ。

 

日秀は紀伊地方(なので正確には現在の和歌山県なのだが..)、那智勝浦から「補陀落渡海(ふだらくとかい)」を行った高僧だ。

 

補陀落渡海とは、「南方にあるとされる浄土」つまりは陸から遠く離れた海の彼方を目指し、僧侶が「補陀落渡海船」に乗り込んで出発する行為のことだ。

真言宗&熊野信仰というこの土地特有の思想に、浄土信仰の流行という時代背景が絡んだものだ。

 

ただし、この船出はそもそも帰還・生還を想定したものではない。

 

僧侶は「30日分の食料と灯油だけを携えて乗り込」み「外に出られないよう、扉は外からくぎで打ち付け」られた状態で、

2機の曳航船にひかれて適当な沖合まで出た後、「綱を切られ、黒潮に乗ってどこまでも流されていった」らしい(2018年5月9日、日本経済新聞

 

この宗教行為が私たちを震撼させるのは、これは事実上の自殺行為・自殺ほう助であるという点だ。

 

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復元された補陀落渡海船 日本経済新聞の記事より

熊野、つまりは紀伊半島の南端近くから出船して流れに身を任せるとなると、上記の記事にある通り、基本的には「黒潮」に乗るので東に進み、広大な太平洋を漂流することになるらしい(当然、生還や漂着する確率は低い)。

大黒屋光太夫たちも黒潮に乗って太平洋を漂流した。

 

が、中には「親潮」に乗ることもあり得、この場合は南西方向に漂流することとなる。

冒頭の僧侶・日秀の補陀落渡海船はこの親潮に乗り、琉球王国金武(現在の沖縄本島国頭郡)に漂着。日秀はこの地を「浄土」と見なし、真言宗や熊野信仰を広め、お寺も創ったらしいWikipedia

 

なお、日秀の漂着や補陀落渡海については、極地探検家にしてノンフィクション作家・角幡唯介さんの著書『漂流』に詳しい。

 

 

大黒屋光太夫に劣らず、日秀もほとんど奇跡のような話である。

キーワードは「漂流」だ。

 

私は大黒屋光太夫記念館を訪れた際、館内に掲示してあった歴史年表に目を見張った。それには光太夫本人の年表と併せて、世の中の出来事と「その他の漂流事件」について記してあった。

 

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大黒屋光太夫記念館の歴史年表


これによると、この時代の船乗りたちが、

台湾、清国、朝鮮、ルソン(フィリピン)、ミンダナオ(フィリピン)、安南(ベトナム

に漂流していることが分かる。

 

漂流、漂流、また漂流だ。

船乗りたちの歴史とは、漂流の歴史ではないか。しかも江戸時代だけでこの数だ。さらに言うと「漂着して生存が確認された」から記録に残っているわけで、実際にはもっと、おびただしい数の船乗りたちが漂流し、帰らぬ人になったに違いない。

この時代(18世紀)の日本における技術で、大海原に繰り出すとは、命懸けの行為だったのだ。

 

大黒屋光太夫やジョン万次郎(伊豆諸島に漂着)がとりわけ有名なのは、「漂流して生還したことがミラクルだったから」ではない。

たまたま日本史上の転換期、つまりは江戸幕府が諸外国の侵略に怯えている中で、「外国人に伴われて帰国する」ことが大きなインパクトだったからなのだ。

 

 

すると、人類は、これまでの歴史でどれほどの数の人が漂流してきたのだろう?

有史以前、ホモサピエンスが拡散して地球上の隅から隅までの陸地に入植した過程において、漂流・漂着という「偶然」がもたらした確率や頻度はどの程度なのだろうか?

 

 

私はホモサピエンスの歴史に興味があるので、「出アフリカ(Out of Africa)」や「現生人類の拡散(Homo sapiens migration)」といった人類史上最大のイベントに着目してきた。

 

なので海部陽介先生(現・東京大学教授)の「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」も熱心に応援している。

これはアフリカを出発したホモサピエンスが世界中へ拡散していく過程において、3万5000年前に日本列島に入って来た集団の「海を越える方法」を再現するというもので、具体的には、台湾で舟を作って、それを漕いで与那国島まで到達できるかどうか、を実証するというプロジェクトだ。

 

プロジェクト自体は2019年に見事成功をおさめ、「航海できる」ことを証明したのだが、想定以上に過酷だったこともあり、漕ぎ手の体力・航海技術・造船技術・舟の性能・携行した食料や飲料などの観点から、本当に当時のホモサピエンスがこれを成し遂げたのか? という再検証が必要だろうと思われる。

 

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3万年前の航海 徹底再現プロジェクト HPより

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私は海部先生のファンなので、このスター研究者が書いた本はすべて読んでいる。

ある著書の中で(正確な記述は覚えていないが)、

台湾東部の標高の高い山から天気の良い日に東を見ると、うっすらと陸(与那国島のこと)が見える。この事実が、当時台湾に居住していた集団の想像力をかき立たせ、海を越えてその地に向かうという原動力になったのではないか、という旨が述べられていた。

 

ロマンがあって美しいストーリーだ。

日本人の祖先たちは崇高な挑戦を成し遂げたのだから。

私も「ふーん、そんなものか」と感心・納得していた。

 

 

だが大黒屋光太夫記念館で、漂流、漂流、また漂流、の純然たる事実を目の当たりにしてしまうと、なんだか上記の美しいストーリーが揺らいできてしまった。

 

身も蓋もない言い方をすると、ホモサピエンスの日本列島への進出・沖縄ルートに関しては、「漂着という偶然」だった可能性もあるのではないか? ということだ。

 

5万年前に台湾到着、3万5000年前に沖縄到着とすると、その差の1万5000年の期間に、何十万人、下手すると何百万人が漂流し、その中のある集団が偶然、与那国島に漂着でき、日本人の始祖になった、というシナリオは?

 

こうなってくると、台湾→日本だけではない。

ハワイやタヒチクック諸島イースター島など、ポリネシアの島々(いわゆるリモート・オセアニア)への拡散というのは、まだよく分かっていないことが多いようなのだが、これも漂流の可能性がある(と思う)。

 

 

ホモサピエンスの長距離航海が意図的だったか、非意図的だったか、については答えの出ない話だけれど、「漂流」という出来事から想像の翼が広がっていったのだった。

 

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熊野から臨む太平洋

 

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Drift from Mie Part 2

Ep.56

A person who drifted from Mie was 日秀 Nisshu.  He was a high priest of Shingon Buddhism in 16th century.

 

After 補陀落渡海 Fudarakutokai which was “the drifting by their self as religious act”, he arrived at Okinawa island coincidentally.

He considered this land was “Pure land”, taught people Shingon Buddhism or Kumano faith and built temples.

 

Drifting, how important key issues are.  To change situation or to create something.

 

Not only the middle ages, but ancient era.

I imagined that a group of Homo sapience, our ancestors might migrate by drifting, from Taiwan to Okinawa and various islands in Pacific Ocean.

 

 

 

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