みんなの笑顔が三重(みえ)てくる Jima-t’s diary

「地域性」に光をあて、「違い」を学び、リスペクトし、楽しむというスタンスで四日市や三重の魅力を伝えていきます

四日市ぜんそく

Ep.21

四日市

と聞いて真っ先にイメージするのは「四日市ぜんそく」だと思う。

 

事実、私がそうだったし、四日市出身者を除くあらゆる世代の人にとってもそうだと思う。

1960年代の高度成長期に起こった公害問題は誰もが知るところで、公害病としての「ぜんそく」の前に、地名の「四日市」が冠されることで、この街に対する人々のイメージが完全に固定されてしまった。

 

公害以前の四日市の姿はというと、

「人とモノが交わる」

というのがキーワードだった。

 

室町時代以降、毎月四日に市がたったと言われるこの街では、多くの人とモノが集まる場所だった。

その理由の一つは、東西に走る「東海道」と南北に走る「伊勢街道」がともに通り、かつ両者の分岐点が、市内の日永(ひなが)地区にあるためである。

 

江戸と京を結ぶ、この国の大動脈である東海道と、江戸時代以降、ブームを起こしたお伊勢参り伊勢神宮詣)の伊勢街道。

大名も庶民も行き交ったこの街では、活発な交流が生まれて多様な文化や価値観が流入し育まれた豊かな街だったに違いない。

そして近代以降は四日市港が開かれ、世界と繋がることになった。

 

 

しかし公害が、正確には「四日市ぜんそく」というネーミングが、この街のイメージを一変させてしまったのだ。

 

 

現在、四日市ぜんそくに関して最も学ぶことのできる施設は、近鉄四日市駅近くの「そらんぽ四日市」の中にある「四日市公害と環境未来館」だ。

 

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左側の建物がそらんぽ四日市

 

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公害前の街の歴史や様子も紹介されており、こちらも見応えがある

四日市公害と環境未来館」のフロアでは、解説員の方たちから解説していただける。

 

・最初に深刻な問題が現れたのは水質汚染(油にまみれた魚の発見)で、その後に大気汚染が現れたこと

・公害が発生してから、小学校の校歌に出てくる科学技術を称賛する歌詞が変更されたこと

・被害地域の住民の中でも、市役所に勤務するような世帯は引っ越すことで健康被害を抑えられた一方、農業や漁業などその土地に根ざした生業をしている世帯(沿岸に暮らす世帯)が最大の被害者となったこと

 

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一連の展示を見て思ったのは、

官・民・自治体が科学技術を称賛・喧伝・誘致

→ 住民は賛否ありながらも総意として従う(従わされる)

→ 被害発生

→ 住民が最も被害を被る。住民と世論が責任を追求する

 

の流れは福島の第一原発と同じ構図だということだ。50年前にも同じことが起こっていたのだ。

 

 

現在の私たちの感覚からすると、工場の製造過程で生じた有害な物質をろくに精製・分解せずに河川や大気に垂れ流していたことに衝撃と戦慄を感じるが、

現在と当時では、時代背景が異なっていたことに思いを馳せる必要がある。

 

例えば今から50年後の人たちは、現代(2020年)に生きる私たち、つまり、

化石燃料で走る自動車やマイクロプラスチックに分解されてしまうプラスチックをせっせと製造する企業や利用する人々を振り返って、

 

「大気汚染も海洋汚染も進行させた罪深い世代の人たち」

と断罪するかもしれないのだ。

 

科学技術の進展も、人々の倫理観の変化も、ともに少しずつなのだと思う。

最近ではパリ協定やSDGsや海洋プラスチック問題やガソリン車禁止時期についてのニュースが飛び交う。少しずつ良い方向に進んでいるのだと思う。

 

 

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Yokkaichi asthma

Ep.21

If people heard “Yokkaichi city”, at first, they must suppose “Yokkaichi asthma”.

In 1960’s, Japanese economy was growing drastically.  Some big chemical companies manufactured much products, but they did not care about preserving environment.  They threw toxic waste water in river or atmosphere without any purification or burning process.  After that, residents were suffering from health problem like asthma, neurological diseases.  It was serious social issue, 公害 Kougai (industrial pollution disaster).  In Yokkaichi, it is known as “Yokkaichi asthma” same as other areas, Minamata, Niigata and Toyama.

 

It was tragedy of Japan’s modern industrial history.

Present law related to environment are based on Kougai, any compliance too.

 

We can learn this history in the museum which is located in nearby Kintetsu Yokkaichi station.

 

Both companies and general people need to pursue sustainable development for our future.