みんなの笑顔が三重(みえ)てくる Jima-t’s diary

「地域性」に光をあて、「違い」を学び、リスペクトし、楽しむというスタンスで四日市や三重の魅力を伝えていきます

全日本大学駅伝 過去の記憶

Ep.14

主に三重県内をコースとする全日本大学駅伝

2019年大会の観戦記(Ep.12)に続き、今回は「過去の記憶」と称して私が最も強く印象に残っている2007年の第39回大会について記したい。

 

2007年シーズンは、学生長距離界に長く君臨してきた、いわゆる「四天王」の最終学年にあたる。その下の世代にも着目すると、当時の(または後の)スーパースターたちが各大学に分散し、まさに百花繚乱の状況であった。

 

この大会の主な有力選手たちを以下に示した。

[4年]

上野 裕一郎 (中央大 ← 長野・佐久長聖高)

北村 聡 (日本体育大 ← 兵庫・西脇工高)

松岡 佑起 (順天堂大 ← 京都・洛南高)

伊達 秀晃 (東海大 ← 福岡・大牟田高)

[3年]

佐藤 悠基 (東海大 ← 長野・佐久長聖高)

竹沢 健介 (早稲田大 ← 兵庫・報徳学園高)

木原 真佐人 (中央学院大 ← 兵庫・報徳学園高)

M.J.モグス (山梨学院大 ← 山梨・山梨学院大付属高) 

[2年]

宇賀地 強 (駒沢大 ← 栃木・作新学院高)

 

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左から上野、北村、松岡、伊達  テレビ朝日 第39回全日本大学駅伝 HPより
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左から佐藤、竹沢、モグス、宇賀地  テレビ朝日 第39回全日本大学駅伝 HPより

4年生の4人が前述の「四天王」である。

彼らは高校時代からそれぞれが長距離の強豪高校に所属し、インターハイ都大路全国高校駅伝大会)などで死闘を繰り広げてきたライバル同志で、当時の高校生ランナーとしては驚くべき「5000m 13分台」の自己記録を全員が有していた。

 

私が以前勤務していた会社で同じ職場だった、ある世代トップランナーの方(彼らの二学年上)の言葉を借りると、

「あの世代から限界突破し始めた」

 

とのことであった。

四天王の筆頭格は上野裕一郎だが、例えば野球の松坂世代における松坂大輔のように、上野が突出していたというわけではなかった。

4人の怪物たちが同時出現し、揃ってブレークスルーを果たした。

とにかく、四天王が当時の高校長距離界に与えたインパクトは相当なものだったらしい。

 

そして彼らに続いたのが、一学年下の佐藤悠基たちの世代である。

佐藤は上野と同じ佐久長聖高校で、前年に上野が叩き出した10,000mの高校記録を更新してみせた。

大学に入ってからは竹沢健介と木原真佐人が実力を伸ばし、特に竹沢は4年時の2008年に北京オリンピック出場を果たした。これはもはや四天王世代を超えたとも言える快挙だった。

 

 

話を2007年の全日本大学駅伝に戻そう。

煌めくスーパースターたちは、佐藤と伊達秀晃がともに東海大であることを除き、見事に異なる大学に分散し、各々優勝を目指していた。

 

実際のレースで、印象的なシーンがいくつもあった。

4区では上野のパワーでねじ伏せるが如き快走とごぼう抜き

8区ではM.J.モグスの爆走による区間新記録などだ。

 

特にモグスは、区間2位の北村を3分23秒も上回っている。

19.7kmで55分32秒という記録は、ハーフマラソン換算で59分30秒前後になるため、当時の世界記録と同等の驚天動地の記録だった。

(なおこのときの世界記録は、故・サムエル・ワンジルが有していた。仙台育英高校から大学に進学せず実業団に進んだ同世代の最高のライバルは、翌2008年北京オリンピックのマラソンで金メダリストとなる)

  

中でも個人的に、レース中最高のシーンだったのが、2区だ。

2区は、有力校は序盤の主導権争いを制するためにチームの実力者を、優勝争いには手の届かない大学も彼らのプレゼンスを示すためにチームのエースを、投入してくるのがこの区間の特徴でもある。

 

赤い鉄骨のフレームが映える木曽川大橋において、松岡佑起、竹沢健介という世代最高のランナーたちと三つ巴のトップ争いを演じたのが、駒沢大学の宇賀地強だった。

 

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2区の三つ巴の首位争い  朝日新聞デジタルより

二学年、一学年上の当時は格上だった先輩たちに必死で食らいついた。

粘り・ガッツ・攻め・勝利への意志・スピリット。

 

この後定着することになった宇賀地強というランナーの姿勢と価値を、見せつけた最初のシーンだったように思う。

 

そして最終的に大会を制したのは駒澤大学だった。

私はこれに大きな意味があるように思える。

 

各校の「大エース」たちが共演したこの大会において、駒澤にはそのような存在がいなかった。しかし一人一人が、高次元の実力を有し、ミスを犯さなければ優勝できる。しかも完勝できる。

 

宇賀地のがんばりもあり3区でトップにたった駒澤は、その後一度も先頭を譲ることはなかった。それが2007年シーズンの駒澤大学大八木弘明監督の作り上げたチームだった。

私はこの大会をきっかけに、駒澤と宇賀地選手のファンになった。

  

2ヶ月後、彼らは箱根駅伝も制することになる。

 

この大会の数年後、上で紹介した日本人ランナー8人のうち、5人が日本選手権優勝・オリンピック代表・世界選手権代表になった。

(しかしマラソンでは、彼らの実績を考えると一人も大成しなかったということも付け加えておきたい)

 

美しく華やかだった2007年の全日本大学駅伝

この大会の記憶は、鮮烈な印象とともに私の記憶に刻まれている。

 

 

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All Japan university ekiden championship - the greatest memory - 

Ep.14

All Japan university ekiden championship in 2007 is my favorite race.

Many fantastic runners competed each other.  It was so exciting!

 

Several years later, some of them were a national champion, Olympic representative and world championship representative.

 

It was beautiful and brilliant memory.